吉祥寺シアター ロロ 『はなればなれたち』

 ロロ、成長していた。そりゃあ以前観たのは2016年だったもんねー。昔は言えてなかった詩的な台詞をちゃんと一旦体に取り込んでいる。「あなた」と「わたし」、「樹木」と「電信柱」、「過去」と「未来」が、平気で入り混じる混沌とした世界をきちんと演じ分け、「くすぐり」的な細部(たとえば演劇部長〈篠崎大悟〉と演劇部員〈大石将弘〉)もリアリティを持っているのだった。

 誰かが台詞を言うたびに、頭上の青い小鳥(ツイッター社のあれに似ている)のモビールが、きらりきらりと光る。この空間が小学生のものであり、同時に現在の社会であることを素早く納得させる。

 一幕の終りの歌(曽我部恵一)は、この芝居が望んでいる通りの、美しい放物線を描いてやさしく柔らかく観客の胸に届き、サニーデイサービスのことなど何も知らない私は、(こ、この人本物…)と驚愕するのであった。ただ、『はなればなれたち』というこの芝居は彼の歌に負けてるよー。

 私のような関係ない人でさえ、この芝居の幕切れは触ったものが輝くとこだな、泣く。と思うのだが、どうやら三浦直之はそれでは嫌だったようなのである。芝居は二幕で急に失速する。考え過ぎたのだろうか。予定調和の会話が何とも言えず恥ずかしい。とりわけハミングの後きつい。ここ、三浦直之と私の趣味の違いかもしれない。その趣味どうよ。それと、「おたんこなす」とか、死語の台詞生かすのむずかしいよね。

 潮騒(島田桃子)の声のちっちゃいとことてもいいのに、おばあさん(おばあさんと小学生好演、多賀麻美)の膝に倚るとき突然ベテランのようにリラックスしていてちょっと不自然だ。佐倉すい中(望月綾乃)の語りがもひとつ地に足ついてない。板橋駿谷が堂々と、リアルに芝居している。