新橋演舞場 『笑う門には福来たる ~女興行師 吉本せい~』

 「藤山直美が観客怖がっちゃって、ぜんぜん前に出てこない」

 1998年、『寝取られ宗介』。まさか売店のおばちゃんが、耳ダンボにして聞いているって思わないもん。

 あれから20年、私は藤山直美にとうとう再会できました。「こいつやったんか」と言われてるところが目の裏に浮かぶけど、今日もまたなんか言うのだ。

 綺羅星のようなお笑いスターのスライドが、芝居が始まるといくつもいくつも映る。エンタツアチャコミスワカナ玉松一郎春団治、今も現役のスター、「わぁー!」とならない、「儚いなあ」と切なくなる。芸って幻みたいだなあ。こういう、残らないものって、胡散くさいと思われる。それを仕切る商売なんて、なおさらだ。吉本せい藤山直美)は船場の古い商店を畳み、遊び人の夫泰三(田村亮)の望む、寄席の興行を始める。前半の藤山直美は一瞬一瞬の連なりを生き、人物像がはっきりしない。父譲りの瞬発芸で一幕を乗り切る。どんな性格で、どんなふうに変化するのか、「流れ」ができていない。そのせいで、好きな人(冬木信一=松村雄基)の後姿にかける言葉が、いつの間にか子ども(頴右=西川忠志)へのそれに変わる所の凄みが薄れ、ただの「アイデア」になっちゃってる。客席に背を向け、紅梅亭の方を向いたまま、「笑いは生きる力です」っていうとこ、いい。でもさ、「通天閣買おう」と思う女の人ですよ。田村亮はとても面白い役で、最初の親戚に囲まれるところから、脚本にさまざまな面が描きこまれている。も少し軽くやってもいいと思う。この群像劇で巧く「流れ」を出しているのは、林与一桂春団治だった。仁支川峰子がんばった。子供の死を知るシーンの受けの芝居がいい。暗転が長すぎる。漫才(ミヤ蝶美・ミヤ蝶子)面白いから全部はめ込んだらよかったのに。前半なんだか音が悪かった。