Bunkamuraオーチャードホール 史依弘(シー・イーホン)プレミアム公演第二夜 『百花贈剣』『貞娥刺虎』

 パンフレットの表紙の写真がきれい(ロゴは…いまいち。)。髪の短い女の人が、暗がりで長椅子に腰を下ろして京劇の靴をはこうとしている。長椅子の座まで左足を上げ、紐を結ぶところだ。舞台の照明が女の人の前方上からそっと当たり、彼女の動作の優しさ――すべてのものが柔らかい曲線を描く――を強調する。

 裏返すと一転して白黒の京劇俳優のアップ、目じりをアイラインがきつく凛々しく見せ、口角はきりっと上がっている。彼女は今かんざしを挿しているところだろうか。たぶん前方の鏡と、自分の内側の感覚に集中している。裏と表、やさしさと鋭さ、合わせてこれが史依弘(シー・イーホン)、中国京劇のスターだ。

 梅蘭芳のイメージが強いので(背広を着た紳士)、一瞬、あれ?男のひとじゃないんだ?と思うけど、始まってしまうと、そんなことはどうでもよくなる。今日はオーチャードホールの実質最後列、オペラグラスをかざしたり、字幕をみたり、もう本当に忙しかったよ。

 舞台に赤に金の刺繍の帳(とばり)が立てられていて、これ、大帳子(ダージャンズ)というのかな。プリンセス(百花公主=史依弘)の寝室、寝所、部屋?を表わしているんだと思う。小間使い二人に抱えられて、酔った海俊(李春)が寝室に入れられる。公主の部屋に入ったものは、斬首なのだ。謀られて小間使いに両脇を支えられて現れる海俊が、人事不省で、くったりした美しい彩りの紙人形のように見え、少し可笑しい。公主の侍女江花佑(畢璽璽)は、侵入者海俊が生き別れの兄と知って、家具の後ろに隠す。

 江花佑と、百花公主の衣装の、頭についている触角のような長い雉の羽(リンズ?)が、とてもすてき。その先が細かく震えて繊細そうで、心の中をよく表しているとも思うし、この芝居のように侵入者が隠れているときには、すぐに見つけ出す容易ならなさが潜んでいる感じがする。

 百花公主は案外簡単に海俊を見つけ、最初は怒るが、徐々に海俊に心惹かれる。顔をそむけて問いただすときも、心の中いっぱいに海俊が見えており、送り出す台詞「梅の枝を折ってはならぬ、春を知らせる花だから」ってはじらいながらいう所が、まるで漱石の「月がきれいですね」(あなたが好きです)のようだった。

 二人が手を取ろうとする姿、共に舞う姿が、すーと胸いっぱいに梅の香りをかぐときの、「梅の香の素」みたいで、心にそっと持っている、初恋の一番いい思い出のようだ。でもさ、海俊は敵方なわけ(わけでしょ?)だからこのままで済まないのだろう。ピュアな思い出の上にかかる裏切り、戦い、別れ、死などを思い、マイナスなものがピュアを輝かせるのだなと考えた。

 

 

『貞娥刺虎』

 冠の下の耳飾りが、右耳は水色、左耳は赤い。費貞娥(史依弘)は素晴らしい役だ。心の底に、氷のような決意と、燃え上がるような復讐と怒りの心を、同時に持っている。或いは、冷たい殺意と百木すべて彼女に靡くような柔らかな媚態。

 二場の終り、ここ凄かった。この話、営々と蓄積された、自分をいいようにする男たちを憎む物語なのかもしれない。白魚のような指、小さな白い歯、何百年も(ひょっとしたら何千年も)嘆賞されてきた「美」がひとつひとつ男(仇)に牙をむく。新王朝の王の義兄弟である虎と結婚する夜、鳴り物が聴こえ、男が帰ってきた。貞娥は言う。「作り笑いで迎え、機会をうかがおう」。それから氷河の水が逆巻いて流れ込むように、じっとしている貞娥の温度が下がっていく。緊張が高まる。装う平常心、そして究極の緊張、躰を上下させながら、女の心(?)を励まして、貞娥は死地へ向かう。

 女がこうして「氷の刃」を研ぎ澄ましているのに、虎(楊東虎)はちょっと馬鹿で、ちょっと可笑しい。貞娥の方は蔭で一番映える「憎んでいる顔」をしているのに、女が背を向けると、その後ろ姿をじろじろ品定めしたりして、ほんと「やーだ」って感じなのである。

 最後に虎を殺し(見失う剣まで緊張感ある芝居をする!)「私は費氏、名は貞娥、」狙う相手はこの男ではなかったが、と名乗るところ、憐れで哀しい。なぜだろう、たった今起きたすべてのことが、費貞娥の中ではかなく虚しくなっているような気がするのだ。