明治座 『めんたいぴりり  未来永劫編』

 い…逸材?博多華丸を見て仰天する。何よりもその体躯が、子供のころからちゃんとしたもの食べてましたって感じの、ノーブルな気配すらするガタイなのだ。よく分かっている衣装(松竹衣装)の人が、アイロンのかかったシャツと、サスペンダーの附いたズボンを着せていて、アメリカっぽい、スクエアな色気さえ漂っている。その上目鼻は大きく、芝居にいやみがない。架空の飯櫃シーンなどすばらしい。ドラフト一位。

 敢えて言うなら、感情の深さにやや欠ける。日頃から、重いことを流して、身体に落としこまないようにしているのかもしれない。腹に感情を落とさないよう緊張しているので、初演時声が嗄れたのだと思う。あのさ、ドッヂボールを真剣勝負でやるとき、相手が至近距離から力いっぱい投げたボールを、身体を丸めてどすっと受け止めるじゃない?あれがないの。華丸の芝居がこの『めんたいぴりり』の基調になっているために、大変面白く仕上がっているが、深さが少し足りないのだ。軽くていいから、深く。

 東憲司、以前(この芝居福岡の人以外誰が見るっちゃろか)という芝居を観たことがあったけど、とても成長している。シーンの切れ際のピンスポットに残す感情が、次のシーンに効いていて、芝居に地方を越えた普遍性がある。

 わき役の人々もきちんとキャラが立っていて、花島先生の大空ゆうひ、帰らない息子を待つ沙織さん(藤吉久美子)、主人公を支えるつよい妻千代子(酒井美紀)、よるべない丸尾老人(小松政夫)など、方向性は違うのに、どれもぶつかり合わず成立している。台詞が博多弁なので、そのリアリティで、街の人たちの予定調和な恥ずかしいやり取りも緩和されていた。ここ、要注意。