東急シアターオーブ 『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』

 遠藤周作のキリストの評伝は、確かキリストの死で終わっていて、そこから先は「信仰」の問題である、と言ってたような。『ジーザス・クライスト=スーパースター』は「信仰」ではなく、一人の男の苦悩の生涯を扱っているから、同じ形を取っているのだろう。

 今日行ったのはコンサート形式の、ミュージカルの歌をたくさん歌うものと思っていたけど、なんというか、ほぼミュージカル。水平・垂直に組み上げられた鉄パイプの足場、それは二階建て、三階建てにも見え、そこここに手元灯が点き、「バンド」の人々が収まっている。階段が所々斜めなほかは、すべてが縦横に組まれて、目に心地よく、中に十字架を隠してるなんて言いたくないほどうつくしい。

 いつもこのくらいの水準のミュージカルや歌が聴きたいよ。日本のミュージカルって、音がゴルフボールみたいに静止してるもん。これ、一音の中で音が動いてる。勢いがあるのだ。果敢にそのように歌い、かなり成功していたのは海宝直人のシモンだった。そしてその本場の歌に疵が多かったのはラミン・カリムルーだ。息が切れたように音が微妙に撚れ、中でもまずいのはジーザスの居所を言う大切な「Garden」と声を張るところがびしっと鋭く出てないことだ。jaded,fadedと韻を踏むところ、ややかっこ悪くも聴こえるフレーズを一語叫ぶことでダサさを回避していたのはよかった。成河やりすぎ、でも、きらきらとやりすぎてました。ミュージカルのコンサートというのが、どのくらい本息なのかがよくつかめないが、ユダ(ラミン・カリムルー)が足に触るとき、ジーザス(デクラン・ベネット)が塑像のようになってしまうのはあり?ちょっと違和感。最初のエレキがちょっと弱い、中程のエレキのソロはうまかったなー。