たましんRISURUホール(立川市市民会館) 大ホール 『柳家小三治 秋の会』

 ほそいほそい三日月が、ホールのガラス壁越しに、ちょうどころあいの場所に出ている。その斜め上に星がひとつ光り、月とつよく引っ張り合っているように見え、夾雑物を許さず均衡をたもって成立している。絵のようですね。

 今日の座布団は薄め、ふかふかの座布団は足が痛いって三三がこないだ言ってたなー。めくりには「柳家小三治独演会」、はっ、独演会なんだね、と今知る粗忽者。高座にあたるサスペンションライトが、すこし零れて舞台の前が明るい。

 最初に現れたのは柳家小はぜだ。こういう、あと二席は人気の咄家がつとめて、みんなわくわくしてその登場を待っているとき、出てくる立場ってなかなかむずかしく微妙だけど、小はぜは「おあとおめあてをおたのしみに」とさらりと言う。落語って歴史長いから、こういう間の悪さがすっかり洗練されてるんだね。言った小はぜもいい感じに、洒脱に見える。小はぜは泥棒のまくらを振り泥棒の話『やかん』というのをする。

 「むかし浅草の観音様に、」と言いながら薄い紫の羽織をさらっと脱ぎ、綺麗な薄緑の着物になる。お仁王様にとがめられた泥棒の話をすいすいするんだけど、仁王の手の構えが浅草寺の仁王とは違ってる。それと手に力が入ってなくふにゃふにゃで緊迫感がない。スカートに手を入れるデパート泥棒の話もいまどきどうなんだ。笑えん。

 『やかん』の、「…あっしゃ泥棒が仕事ですか」と新米の泥棒がいう所、心から驚いていて、不思議そうで、とてもよかった。泥棒の親分と新米は、連れ立って夜の稼ぎに出る。真っ暗な道で新米は、「親分。親分!親分!!」と三回呼びかける。この距離ね。と聞きながら心にツメで印をつけるのだが、ここがねー。このあと距離がまったくぱりっとしない。あやふやで決まってない。伸びたり縮んだり、駄目だよ。この辺の見当、っていう、お互いの居場所がわからないもん。財布を忘れて慌てる新米に、親分が、「うちには手癖の悪いものはひとりもいない」ときっぱり言う。こことても笑った。

 このあとも塀に上がった親分に掛ける台詞や、外でひとりごつ新米の台詞が、距離が甘い。距離が甘いと深夜の泥棒の緊迫とリアリティが、失われます。

 

 高座をいったん降りて退場した小はぜが、高座の向かって左にお茶を置き、下手に座る。時をはかってめくりをめくる。

 「柳家小三治

 下手から黒の着物の小三治登場。きゃー。小三治はよっこいしょっと膝をかくっと折って座る。わかるよ。私もろっ骨折ったところだもん。体に不具合あるとなめらかにさっと座れないもんね。でも「口」の方はそれでは困るのだ。

 「お元気ですか」

 「どうやら何とかたどり着きました」するりと脱ぐ羽織。

 小三治は黙ってる。

「黙ってたら仕事にならないからね」

 今日もマクラがながい。いろんなことを話す。政治向きのこともちょっと話し、ぱーっと拍手がわく。今日一番笑ったのは、講談や落語を昼休みにやって、人気者だった高校時代の話をしていて、さりげなく、「わたしは高校時代有名だったんですよ」といったところかな。

 今日は『馬の田楽』。よどみなくさらさらと進む馬方のたじゅうどんのひとりがたりを聴いていると、3Dの絵本が次々に展開していくみたい。馬方が「板の木目に疲れがすーっとしみていくようだなー」という台詞で、床の手触り、風の通る板の間を感じる。今日の立て場のばあさん、なぜ声が小さかったの。耳の遠い人は声大きいよね。今日は「馬の田楽みたことがねぇ」というオチ(サゲっていうの?)が話の全体を見渡すようによく効いていた。

 ここで休憩。ちょっと会場が暑かった。小三治が高座に上がる。一席目のまくらではなしたラグビーの田中、ひいきの田中の名を叫んで気合を入れてからまたかくんと座った。噺は「粗忽長屋」。

 「(おまえは)死んでるよ」と低い声で言われた粗忽者が、不得心に「死んだような心持がしない」と答えると、「それがおめぇはずうずうしいてんだよ」ときめつけられる。いいなあ。この飛躍。大体、粗忽者が2人ですっかり「いきだおれ」のまわりの空気を「死んだ自分を見に来る死んだはずのひと」の場にするのがすごいね。

 さいごのところ、「抱いてんのは確かに俺だが、抱かれているのはいったい誰だろう」という。どうなのこれ。ふつうじゃん。落語会が終わって帰り道、おじさんたちが「志ん生…」「志ん生の…」とささやき交わしている。たしかに、かえってネットで探してみると、志ん生と同じだ。志ん生(1890-1973)の頃とは、もう時代が違っている。明治時代とは、「じぶんってなにか」が変わってしまい、とても揺れ動いたんだなと思う。理に落ちるのを嫌ってこのオチ(サゲ?)なのかもしれない。しかし、「抱かれているのはたしかにおれだが、」の方がいいよ。現代的。小三治、現代から降りちゃったの。現代と自分との間に、もっと緊張を持て。