小倉城天守閣再建60周年 『平成中村座 小倉城公演』

黒-白-柿の中村座の定式幕とおなじ配色の小さいのれんが、劇場前の売店の上に一列に並び、風に吹かれてお客を手招きする。甘酒、コーヒー、お弁当、シャンパン、シャンパン売り場の人は蝶ネクタイをしている。後ろを振り返るとそこが平成中村座だ。櫓には紫に白く抜かれた中村座の隅切銀杏、劇場の中は鼎が沸くような喧騒で、お茶子さんが席を探し、子供は通路を走り、観客はうきうきと高声で談笑する。前方は桟敷、うしろは8人続き、5人続きの長いすに、それぞれ小さな座布団が置かれている。劇場にずらっと並ぶ提灯が、ふらふらと自分のペースで揺れて、ここが外ととても近い場所なのだとはっきりかんじる。

 たしか18世勘三郎は、唐十郎の紅テントに感激して、この「平成中村座」を立ち上げたんだったなあ。

 「間もなくの開幕でございます」張りのある声がして、場内がすぅっと静かになる。

 最初の演目は『神霊矢口渡』。あのー、大劇場で見る時と、ぜんぜん心持が違うの。新幹線、土地勘ゼロの場所、お土産物屋、売店、長椅子と、日常の皮を、一枚一枚矢継早にはがしてここにいて、大道具の戸口が揺れるのさえ、「ああ芝居小屋だからだな」(皆揺らさないようにとても神経を使っていた)と思うし、心が沸き立っちゃって落ち着いて筋書が読めない。ここどこ。

 南朝方の新田義興は謀で船に穴をあけられ敗亡した。穴をあける手先となって働いた船宿の頓兵衛(坂東彌十郎)は褒美をもらい、いい暮らしをしている。ここへ、義興の弟、新田義峯(中村橋之助)が許婚のうてな(中村鶴松)とともにやってきた。訪ねる義峯にこたえるのは頓兵衛の娘お舟(中村七之助)である。紫の縞の着物に黒い襟、半襟が赤いんだけど、この赤が紫と相俟ってうっすら光を放っているような赤。私には牡丹赤に見えた。お舟さんて義峯を見るなりはらりと袖が手元から下に落ちちゃって、義峯を好きになってしまう。その心が手に取るようにわかる。そして心映えが深い。心が襟元みたいにぼうっと光っているのだ。七之助は娘役だけれど、自分の決めた範囲をとても自由に動く。いや、決めた範囲を遠心力でちょっと出るって感じかな。「いま、ここ」で息をする人になろうとしている。自在な人まであともう一息。

 この芝居ね、口跡がみんなパリッとしない。劇場の構造のせいだろうか。気配で芝居を察するしかない。そしてなぜか平賀源内の芝居だなあと思うのは、許婚の娘と一緒に居ながら、義峯が一瞬、気の迷いを起こすとこだ。お舟と手を触れそうになったとたん、気を失う二人。うてなが新田の旗をかけると生色を取り戻す。お舟は自分を好いている感じの悪い六蔵(中村いてう)を斬り、父親に刺されながら(ここ全然わかんなかった。上品すぎた。)義峯の包囲を太鼓を叩いて解かせ、死んでゆく。

 頓兵衛は自分ちの壁を壊して忍び入るところがあって、蜘蛛の巣が(ねばねばのや糸のようなのが)顔につくのを払うのがリアル。私が思うのに、ここ芝居小屋なんだから、引っ込みとか六蔵の「行きつ戻りつ」とか、もっと遠心力を持ったすばやいものでいいんじゃないかなあ。(状況劇場とか、「荒ぶる芸能」だったけどな。じゃーん、ばーん、しょっちゅうロマンティックな音楽がさわりだけかかって、本水どーん、水しぶきざっぱーんて。原初の演劇感満載だった)

 次の『お祭り』では舞台にしかけがある。ここでわたしうっすら涙が湧いた。勘九郎の踊り―踊りという過去―過去の歌舞伎―景色を見ているうち、寄り掛かった背中の壁(最後列でした)が、不意に板が古くなり木目が浮き出して、虫食いの穴が開いている「小屋」のそれのように感じた。でもこれ、おぎょうぎいいよね。

 勘九郎国芳の浮世絵からぬけだしてきた、というよりもっと男前で(検索して!国芳の野晒悟助)、上背はあるし踊りはきりっとしているし、とてもすてきだった。でもさ乱暴じゃない。

 最後の梅川忠兵衛(『恋飛脚大和往来』)では勘九郎は八右衛門を演じる。この八右衛門もかわいく、憎たらしく、品がいい。

 この芝居で花道から登場する忠兵衛(中村獅童)が可笑しくよかった。「肩でそよそよ風を切る」感じの「あまえた」(甘えん坊)のお兄さんなのである。このそよそよした獅童を、七之助の梅川がしっかり受け止める。筋書で勘九郎が「セッション」といっていた小判の音を聞かせあうところ、サスペンスと盛り上げが足りない。笑いながら観ていたのに、しだいにまじになり、さいごは「ああっ封印を、」切りんしゃった、と北九州の観客が青くならないと。

 「劇場」が「小屋」になれば、やっぱり芝居も変わらざるを得ない。スピーディに乱暴にやったほうがいい。演目を選び、演出を立てた方が、いいんじゃないかな。