KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ドクター・ホフマンのサナトリウム〜カフカ第4の長編〜』

 人差し指の指紋の渦を、一人の男が歩いてゆく。強い向かい風に帽子を押さえ、前方は感知不能、両脇は背の高い目隠しに視界を遮られている。いやなこと、困ったことが次々に起き(女の人が絡んでいることも多い)、結局彼にはいつも「現在」しかない。にもかかわらずその男の登場する小説は予見的で、透かし見るとホロコーストや戦争が浮かび上がってくる。というのが、カフカが苦手の私のカフカ。きゃああって言いたくなる。でもさ、よく考えるとカフカの主人公がわけのわからない審判を受け、たどり着けない場所へ何とか行こうとあがいたりするように、私だって頼んだわけでもないのにこうやって生まれてきて、理不尽とも思えるこの世のおきてに従っている。一緒やん。『ドクター・ホフマンのサナトリウム』は、カフカの4番目(実際には存在しない)の長編作品の草稿を持つ男ブロッホ渡辺いっけい)の話と、その草稿の中のヒロインカーヤ(多部未華子)の悪夢がより合わさってできている。カーヤは恋人ラバン(瀬戸康史)を探しに戦場へ赴く。

 いつものようにびしっとした開幕だ。しかし、汽車が動いた後、多部未華子が静止するタイミングがちょっと早かった。汽車の振動を乗客の揺れで表わすところが、エロティックでとてもカフカっぽい。いつの間にか二重の夢の中に観客は巻き込まれていくのだが、紗幕に考えられないほどの数の客車の座席が映るところ、映像に芝居が負けている。後半の不条理は、目の前にそそり立つ歪んだ急峻な坂、危険な階段のようであってほしい。カフカについてもっとびっくりしたい。多部未華子瀬戸康史麻実れい(かつら気を付ける)、手堅くきっちりやっているが、皮一枚下の不気味さが足りないかも。終演後、人差し指を眺めながら、終幕の瀬戸康史はラバンかガザか、それともカフカか、ちょっと考えたりする。