渋谷TOEI 『カツベン!』

 なんか『雄呂血』(1925)すごかった…。っていうまんまと映画の術中に嵌った感想でごめんなさい。1915年、京都のマキノ省三山本耕史)から10年後の関東の二番館へ、物語がのんびり進む中、今思い返しても、エンドロールの右下隅の『雄呂血』が、頭の中でまばゆく輝いている。バンツマは殺陣も容姿も美しく、殊に心理を表現するとき、「無心」がのぞくのが凄すぎる。あの『雄呂血』に至るまで、人々はみな笑ったり泣いたり、恋をしたりのろくて笑える追いかけっこをしたりしているのだな、と思うのだった。実人生って土竜みたいよね。『雄呂血』の絶対的にも見える光明に比べると。

 映画黎明期、京都で育つ染谷俊太郎(成田凌・牛尾竜威)は、幼馴染梅子(黒島結菜・藤田りんか)とともに映画館に忍び込む。俊太郎は活動弁士になりたいという夢を、梅子は女優になりたいという夢を語り合う。

 1915年について、実感として知っている人はほぼいないということもあってか、映画館も街の商店も皆生き生きと撮れ、引っ掛かる描写はない。わるだくみは悪だくみらしく、ピストルはピストルらしく、トランクはトランクらしく、可笑しく映っている。たださ、「話の切なさ」が全部雄呂血に代表されちゃっていて、一人一人の切なさが薄い。永瀬正敏の切なさ、高良健吾の切なさ、この人たちの裏側には、たとえ絶頂期のカツベンを撮ろうとしたとしても、若くして死を選んだ黒澤明の兄さんみたいな人(活動弁士)のかなしみが、貼りついてるはずじゃない?刑事の竹野内豊が憎めずよかった。いい映画見た後、もっと泣いてもよかったのに。子供時代の思い出は「入れ子」のように小さく仕立てられてなく、現在の自分の中に等価に息づくような描き方だった。どうかなー。ここも切なさが、足りないよ。