シアタートラム「誤解」「正義の人びと」 

「一人の男が金をもうけようと、チェコのある村を出立し、二十五年ののち、金持になって、妻と一人の子供を引き連れ、戻ってきた。その母親は妹とともに、故郷の村でホテルを営んでいた。」(新潮文庫:窪田啓作訳)

カミュの『異邦人』で、主人公ムルソーが何度となく目を通す新聞記事のはなしは、こんな風に登場している。それを一篇の戯曲に仕立てたのが『誤解』である。カミュは劇作家でもあり、世田谷パブリックシアターの戯曲リーディングでは、「時代を築いた作家たち」というシリーズ第一弾として、『誤解』と『正義の人々』が取り上げられた。

 『異邦人』にはこのように書かれているが、『誤解』では、二十年ぶりに一人の男ジャン(山中崇)が、妻(町田マリー)をつれ、母親(久世星佳)と妹(黒木華)の宿屋へ、素性を隠して帰ってくる。妻を別の宿に滞在させ、ジャンは母子の経営するホテルに泊まろうとする。妹と母親は、明るい太陽の輝く地での違う人生を夢見ていた。

 妹マルタは母親を心のよりどころにする。母と共謀し、共犯となることで、母の愛を確認する。いわば母が彼女の家である。しかし母親は違った。悲劇を知った母親は息子のいなかった間も「生き延びた愛」のために川に身を投げる。マルタは宗教へは頼らない。一人何もかも失い、罪とともに死ぬ。マルタは運命に追随するのではなく、選び取っているように見える。残された妻マリアは老召使(菅原永二)に助けを求めるが拒絶される。帰ってきたジャンをはじめ、誰もがよりどころ――家を失う物語である。

 一方『正義の人びと』は1905年、ロシアのセルゲイ大公を社会革命党のテロリストが爆殺した事件を題材にしている。テロを目前にして革命家たちが感じるジレンマ――正義と愛、正義と恐怖、正義と道徳――が語られる。彼らが貫こうとした正義が、いつの間にか倒錯した愛に姿を変え、より先鋭化していく。

 リーディングというのは、どのくらい台本を見て、どのくらい立つものなのだろうか。動きがあったほうが、観るほうはたのしい。照明が、ずいぶんものを言っていたと思う。明かりに照らされた椅子の影が美しかった。久世星佳好演。せりふが腑に落ちてる感じがした。