映画『そして父になる』

 10月なのに暑い。半袖。風が強くて日が照ってる。すんごい早さで雲が流れていくなあ。としみじみ見入っちゃうくらい用事のない日。『そして父になる』を見に行った。

 都心の高層マンションで、妻みどり(尾野真千子)と息子慶多(二宮慶多)と暮らすエリートサラリーマンの野々宮良多(福山雅治)。慶多が6歳のある日、病院から赤ん坊の取り違えがあったと知らされる。自分たちの血のつながったこどもは、前橋で電気屋を営む斎木夫婦(リリー・フランキー真木よう子)のもとにいた。動揺する良多とみどり。互いの家族は親しくなり、悩んだ挙句、ついには、こどもをとりかえることになる。

 泣かされた。きもちよく。

 9年前の『誰も知らない』の時は泣くのを我慢しすぎて映画が終わったらボロボロだったけど、この映画は泣ける。あれは、こどもの視点から見た映画だったせいで、体の中にこども成分が多い人間(未熟なひとってこと)は感情移入しすぎてこども的我慢をしちゃったんだろうと思う。この映画はこども成分をたくさん抱えた人間が「親になる」「大人になる」ことを扱っているような気がする。良多の傷が、さらっと触れられているだけなのに、容易に口にできないくらい骨がらみ彼を捉えているのがよくわかった。強気な奴だけど曲がっている感じが演技から(斎木夫婦に話をするときの抑えた得意とか)でていて、それが傷の「曲がり具合」とうまくつながっている。

 『そして父になる』では、「そして」がすべてである。「そして」という間、「そして」という距離。その中に、成熟する、父になるということがすべて籠められている。人間関係の下手そうな良多が、終盤、絶妙の場所にいるっていうのが、気持ちよく泣けた理由かもしれない。

 慶多くんが、いつ口がわなわなするかわからない我慢の顔に見えて、たまりませんでした。