シアターコクーン『唐版・滝の白糸』

10月19日(土曜日)マチネ。劇場最上階に向かう途中、階段から、舞台の、二階建ての廃墟が見える。ぼろぼろの瓦を乗せている。落ちてるところもある。電信柱が三本。どこをみてもとても作りこまれていて、胸が躍る。上手と下手に、古くなったテレビやら、金庫らしいものが捨てられている。誰の胸にも棲みついている、吹き溜まりの街だなと思った。

 青年アリダ(窪田正孝)は、このゴーストタウンの一角で、一年前に自殺した兄と同棲していた女、お甲(大空祐飛)と待ち合わせをしている。金を貸すためだ。アリダは金を、後をつけてきた男、銀メガネ(平幹二朗)にあずける。やがてあらわれたお甲。兄との間の赤ん坊を一人で育てるお甲は切羽詰まっている。だがアリダも銀メガネも金を渡さない。銀メガネは金を得るためには何でもする男だということがわかってくる。お甲は、その金をわたしてもらうために、水芸滝の白糸を見せるという。

 背中にオブラートみたいな羊水の膜をくっつけたアリダは、「金」ということがよくわからない。まだ幼いのだ。金が人を変え、いろんな出来事を引き起こしていくというのが呑み込めていない。羊水の水と、売血の人々が、血管のように見える蛇口からすする「血」のような水。貧しい人の金は、血だ。

 思い余ったお甲が「それでは皆様、手首の蛇口をはずしましょう!」と叫ぶと、流しがお甲を乗せて、舞台中空を舞う。ワルキューレが鳴り、顔から白いTシャツから、全身に血を浴びたアリダがのびあがって、お甲の傷を縛る。市街戦の負傷者のようだった。

 アリダ、お甲、銀メガネのアンサンブルがよい。平幹二朗のセリフに説得力があるため、いい着物の金糸の縫い取りみたいに、話の文目(あやめ)がチカッと光って見える。

 観終わると、血が沸いている。夕飯どうするかなんて、考えてられっか。