シアターコクーン 『冬眠する熊に添い寝してごらん』

 世界って、「わけがわかるところ」と「わけがわからないところ」からできている。「わけがわかるところ」だけでできているなら、そんな世界は、ぺらい。「わけがわからないところ」は、理解を拒む。人は、そんな場所に名前を付けて、うけいれることで何とかしてきた。それはたとえば、「神」という名前だったり、「不条理」だったり、「絶望」だったりする。

 そこに古川日出男がやってきて、名前を与える。「犬」と。

 「犬」は人に対する蔑称である。まがいのもののことを犬と呼ぶこともある。犬のけだものめいたふるまい一切は犬畜生と言いならわされてきた。あやしいもの、言葉にならない気配、セクシャルなものが、ここでは犬だ。

 冒頭、熊と犬の登場でまず驚く。熊と犬は戦うのだが、猟師(勝村政信)が長いセリフを喋り、緊迫しているのに何も起きないので、最初のインパクトはみるみるしぼんでいく。

 清水邦夫唐十郎井上ひさしめいたセリフがあっちこっちから聞こえ、芝居はまるでキメラのようだ。シーンは長く、役者はみな精一杯奮闘するが、心に引っかかってくるセリフがない。演出は多彩な技を繰り出して、芝居を何とか救おうとする。

 もはやこれまで。と思った時、奇跡が起きる。まがいの宇宙が現出するのだ。いま、ここ、私たちのいる時空は、じつは犬によって占拠されたニセモノの世界ではないのか?犬が立ち上がるシーンはほんとうにわくわくした。

 シベリア出兵時代の新潟の石油、現代の原発までのエネルギー問題が語られる。でも生硬。この脚本を受け取って、だれもなんにも言わなかったのだろうか。それが一番不思議だ。芝居全体が、ひとつの大きな演習であった。