集英社 『樋口可南子の いいものを、すこし。その3』

 

 それなりに選んだオイルヒーターに、ジャージとタオルが干されてる。気に入って買ったひざ掛けが、たたまれていない。テーブルに、頭痛薬と、朝つかった粉引の唐津湯呑がだしっぱなし。気が弱る。ただ、息して、座っているだけなのに、なんか澱のように散らかっていくなあ。散らかってるってわかってて、片付けする気になれないときは、きれいな写真の入った本を読むことにする。逃げだね。 

 『樋口可南子の いいものを、すこし。その3』 

第一回の華道家川瀬敏郎の回で、逃げなのにいきなり反省を迫られる。何心なく花を生けるために、惜しげなく投入されるこの集中。小さい山野草が、たぶん生ける人の目の中いっぱいに、普通の人の倍くらいの精度でフォーカスされてる感じ。ものをつくるってこういうことですよと、全巻にわたる予告をされたなと思う。キッチンばさみで、チョキチョキすいすい花を切ってる自分の雑な視線を責めた。だめじゃん。けど花瓶の杜鵑草(ほととぎす)をみている樋口可南子の写真で救われる。こんな花を見られるって、得難いことなんだよって言ってるみたいだからだ。 

 染色、帽子、漆、読み進むにつれ樋口可南子の家が、いつでもきっぱり片付いていることを思い出す。あのおうちに、あうよね、こういうの。しょんぼり。力なくページをめくっていると、写っている人の表情が、見ているものを映しているのに気づく。ホームスパンの手触り、漆器の光具合、コーヒーの湯気。月の光みたいに、ぼんやり、でも確かに伝わってくる。気仙沼津波の跡に立つ小さい人影に、かなしみと、本を作った人の節度を感じた。物を手に入れることと切り離せない、「うしなう」ということを考える。「すべてうしなう」ということも。本から目を上げると、そこにジャージ、重い腰を上げて、しまいにかかる。

 

 

 

清野恵理子 企画・文

浅井佳代子 撮影

2014、3,6発行 1900円+税