ゼップダイヴァーシティ ボブ・ディラン

ボブ・ディランは私に、わからないことというのは存在していて、それ以上でも、それ以下でもないんだよと教えてくれた偉い先生だ。それなのに私ときたら、ディランの歌詞集を、不器用にあっちめくり、こっちめくりしてるうちにもはやライヴ当日。ネットで誰かが言ってたみたいに、歌の最初の2行を全部覚えるとか全然無理。最新作の『テンペスト』をipodで聴きながら、お台場へ向かう。

ゼップダイヴァーシティは、たぶん立ち見で二千人くらい入れるホール。すこし大きいけど学校の講堂を思い出させる。背景の黒幕に睫毛のついた眼のようなものが描かれている。ディランが登場する。手の切れそうな鍔のついた帽子をかぶっている。演奏が始まった。明澄な音。音の鳴り方がとても素敵。バンドの音に気持ちを奪われる。ボーカルが入る。何の曲だか見当がつかないが、気にすることはないといきなり悟った。ディランのしゃがれた声と、バンドの音が、よくあっている。二曲目の途中でこれShe Blongs To Me だとわかり、わかったけど全くアレンジが違うのだから、たった「いま」それを聴いていることの方が大事なような気がした。一曲終わると弧を描いてつるされた照明が暗くなり、大きな目が閉じたようだ。ボーカルが、野球のシンカーのように沈みながら私のところまで届く。キャッチボールの気分だ。「クルミの木立に楓の木/スカーレットタウンでは、/泣いたところで何の役にも立たない」(訳;中川五郎)迷路のような歌の中で、ディランの声を頼りに、手を伸ばす。とうとう、Long And Wasted Years の、I just came to youyouは、聴いてる私のことねと思う。ナイスキャッチ?妄想か?

アンコールは「見張り塔からずっと」と「風に吹かれて」だった。歌は原形をとどめないくらい変わっているが、ディランの歌はそれが鳴っているたったいま、瞬きする間のいま、新しく聴く価値がある。