世田谷パブリックシアター 『ビッグ・フェラー』

 『ビッグ・フェラー』を見ていると、一つのテロが、どれだけその中に暴力を含んでいるかを思い知る。

 アイルランドの統一と、独立を求める武闘派組織IRA、そのアメリカでの大立者コステロ内野聖陽)と、仲間。1974年、世論がIRAに同情的であった時代から、やがて戦闘的な姿勢を批判され、世界的な緊張緩和の中で、役割を見失っていくまでの30年間が描かれる。

 舞台に現れるのは1974年にIRAに加わる消防士マイケル(浦井健治)のアパートだ。30年にわたり、様々な暴力が繰り広げられるこの部屋に、彼は住み続ける。よく住んでられるね。と思わずつぶやくレベルの血腥さだ。登場した時から、彼はソフトな感じだ。そのソフトさの下に、何か、動かし難いもの、絶対的なものへの希求を、隠し持っている。だからここに住める。敵対すると痛めつけあい、弱い所を徹底的に衝く仲間たち。女性に向ける差別、ゲイに向ける差別。まなざしのひとつひとつがテロを産んでいく。自他への度外れた厳しさが、目指す正義の絶対的純粋さを保証する。コステロの告白を聞いた後のマイケルとトム(黒田大輔)は、まるで孤児だ。アパートに現れたコステロの指示。それは子供をしつける父親のもののようで、冷静なテロの指令のようにも思える。外に向けるテロ、内に向けるテロ。2001年のある朝、マイケルはアパートを出て出勤する。鍵をかけられ、からになった部屋。ここで、最悪の出来事がいくつも起きた。その場所もまた、テロに内包されてゆく。

 

 内野聖陽の老人らしい芝居が、役の微妙さを打ち消してしまいそうでもったいない。成河のルエリが複雑な闘争を体現している。