六月博多座大歌舞伎

 いきなり不穏。ごぉーんという遠くの鐘の音、暗がりにただならぬ気配。主人中川三郎兵衛(嵐橘三郎)の妾お弓(中村魁春)と密通し、中間市九郎(中村梅玉)が手討ちにされそうになっている。夢中で手向かいする市九郎は中川を逆に殺してしまった。市九郎はお弓と逐電する。このお弓が一筋縄ではいかない女だった。街道筋で茶店をやる一方、二人は野盗稼ぎをする。

 いい月だねと言いながら、殺した女の鼈甲の櫛を剥がしにお弓は出かけてゆくのだが、その月は実は悪事を見守るお弓の顔のようにも感じられる。逃げ出してからこっち、(いや、もしかしたら密通してからずっと)お弓の顔が、いつでも市九郎をみているのだ。

 罪を悔いた市九郎は発心して僧になり、了海と名乗る。近在の人を苦しめる道の難所に隧道(トンネル)を作ろうと、二十年かけて掘り進む。そこへ現れた中川の遺児実之助(中村翫雀)。仇の市九郎を探し出した実之助はとても複雑な心情を表現しなければならない。月から逃れて穴にこもっている了海のぶんも、葛藤しているように見える。この葛藤がしっかり描かれているので、開通した時の月は、二人の上にほんとうに浄化されて照る。実之助と了海のやり取りを見守る村人のリアクションを、濃くなく、うすくなくするのが、難しそうだった。

 『船弁慶』。静御前市川染五郎)は、街で見かける華奢な女の人のような後姿、前から見ると中が空洞の美しい塑像のよう。しかしその貌は、伏し目がちの両眼から途絶えることなく涙を流し続けているのだった。能のような振付になっているので体をひねったり、手や顔の向きでアクセントをつけたりという日本舞踊っぽい動きがほとんどない。なのに伸ばした両腕の間でたしかに花が咲き、夏木立が見え、紅葉し、雪が降る。かなしみを湛えた静が去り、義経中村翫雀)弁慶(片岡愛之助)一行が船出すると、急に海が荒れ、平家の亡霊知盛(市川染五郎二役)が登場する。おもわずえー静御前と同じ人なの。というくらい違う。亡霊だから足音を立てないが、荒々しい。かっと口を開くと口の中が赤い。びっくりだ。くるりと回した薙刀をかいこむ鮮やかさ、黒目を寄せるすさまじい表情。それがこの演目の肝なのだろうけど、やっぱりまんまとまた言ってしまう。えーおんなじ人?

『鯉つかみ』、お姫様の苗字が、「釣」っていうのがまずかわいい。小桜姫中村壱太郎)がうぶで女の子らしくて感心する。いちいちはにかんで、そのくせ恋しいお小姓(片岡愛之助)があらわれると積極性を発揮。そこもかわいい。

 滝窓志賀之介(片岡愛之助二役)の鯉との格闘は、なんといっても水飛沫がうつくしい。舞台の上で弧を描いたり、客席に向かってふわっと広がったり、白く光る飛沫の涼しさに見とれた。空間を清めるようだ。志賀之介が爽やかで、力強く、かっこいい。鯉もおつかれさま。六月歌舞伎、もう一回見たいなあと思いながら帰ったのだった。