シアターコクーン 『太陽 2068』

 立ち見。がんばりました。

 床に敷かれた暗幕が、ひたひた、するすると舞台の奥へ退いていった。露わになったところは透けている。一か所、幕が真下に垂れ下がる場所がある。ひやっとした。

 地下に通ずる出入り口なのだ。床がスケルトン構造で、地上には廃墟に近い家並み(棟瓦には雑草)があり、地下には透明のスタルクのテーブルセットが置かれて、しんとしている。上に陽を浴びて暮らす旧来の人類「キュリオ」がいて、下のクールな装置に夜を生きる新しい人類、年も取らず、知力体力に優れた「ノクス」がいる。

 総じてキュリオは貧しく、老人が多く、ノクスに管理される。キュリオとノクスは互いに偏見を持ちあう。ノクスの血でキュリオは死に、キュリオの激情をノクスは理解できない。しかし、キュリオの青年鉄彦(綾野剛)と、ノクスの森繁(成宮寛貴)は次第に親しくなる。

 アクリル板は世界をクリアに見通すのに、すべてをまったく遮断している。その上に血も流れ、疵もつくが、反対側に廻れば血だまりも傷も、「見る」ものでしかない。そして、「見て取る」所から差別は始まる。キュリオの結(前田敦子)の願いは、もう傷つきたくないという絶望から生まれているようだった。それにしても結はひどい目に遭っている。暴れる結を見守る征治(山崎一)のうっすらしたかなしみが秀逸。こころのどこか遠くに、キュリオだった自分の記憶を持っているのだ。ノクスの世界の輪郭、キュリオの世界の生身の苦しみが、玲子(伊藤蘭)の含み笑い、純子(中嶋朋子)の取りすがる手から感じられる。

 立ち見だからと構えていたせいか、幕切れは、すこしあっけない。マチネーで、夜でなかったところが、ちょっと残念。