彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾 さいたまネクスト・シアター第六回公演 『リチャード二世』

 無力。

 「なんとかしてよ」と女の子が泣く。なんとかしようとするが、世界はびくともしない。どうにもならない。この世を敵に回した、若い時の鋭い無力感。それははなから若者の専有物に決まっているわけではない。車椅子に乗る人々もまた感じるのだ。連れ出され、意に反した場所へ向かう無力感、あるいは、どこかへ行きたいが、そこへ向かう体力が自分に残されていないと感じる無力感。

 深い舞台の奥から、スモークが白く溶けだした黒い空間を突っ切って、何台もの車椅子を連ねた老人たちが横一列で現れる。紋付を着て袴をつけ、女たちは留袖をとりどりに着る。車椅子のスチールが光り、アルゼンチンタンゴが鳴って、車椅子の人々は立ち上がった。介添え役の若者たちと体を寄せて踊り始める。血の奔騰、その気配が、短いステップの中にこもっている。

 電動車椅子に乗って登場するのは、国王リチャード2世(内田健司)だ。ここで車椅子が表わすのは、無力感と背中合わせの権力である。おつきのものに指図して行きたいところへ行く力。その目に現れた不機嫌と狷介さ。彼はそれを隠さない。常に体が撚れている。まっすぐになるのは、男たちとタンゴを踊るとき、そして、ボリングブルック(竪山隼太)に向かって、その要求を容れると宣言するシーンだけだ。彼の誰にも見放された無力さは、ある時点から聖性を帯びる。舞台上に現れる十字型の明かり、そこに横たわるリチャードの繊い枝のような裸体。幕の海で波にもまれるリチャードや側近たち、波の呼吸に合わせるように倒れこみ、ゆられ、その顔は陶酔感を浮かべてこの世の外に出たかのようだった。無力が、舞台で検証される。それは惨酷でもあり、美しくもある。静かに浮遊感を湛え、青春とつながって、おき火のように燃えるのだ。