新国立劇場中劇場 『東海道四谷怪談』

 押し寄せるストレスを『東海道四谷怪談』ではかっていたことがあって、荒ぶるお岩さんに「行け!」と思う時は休息が必要、「大概にしておきなね。」と思う時は日常続行なのだった。お岩さんは、女の人みんなのストレスを背負っている。

 客席に入ると舞台は暗く、しーんとしている。「しーん」という音が聞こえる。まるで暗がりが、その音を背負って、もう芝居を始めているみたいだ。白い薄紙を貼った大きな衝立が出てきて、暗闇と舞台を仕切る。

 この芝居で一番怖かったのは、産後のお岩(秋山菜津子)が、衝立の端の蚊帳の中から、夫民谷伊右衛門内野聖陽)に低く返事をする登場シーンだ。闇の中で身を起こすお岩。伊右衛門は隣家から血の道の良薬をもらったといってお岩に渡す。それがなんだか、暗闇の神さまへのお供物のように見える。まだ何も起きてはいないのに。天災、妊娠、出産、血、男がコントロールできない一切のものに対する恐れ。伊右衛門は、自分で気づかぬままに、ここではお岩と、その暗闇を恐れている。

 ところが、この後、非道を尽くす伊右衛門は、「恐れ」の触角を失ってしまう。場当たり的にお岩を苦しめ、陽性で、ちょっと大仰なのだ。恐れもしないし恨みも引き受けない。芝居が、何か別の因果物語に見えてくる。

 はね楊枝でお歯黒を塗るお岩の後ろで美しいピアノ曲が鳴る。何とか追手からのがれようとする伊右衛門の後ろでも鳴る。執念深い女と観念しない男ってことなのか。二人は合わせ鏡のようになっている。最終シーン、暗闇の中でお岩のうめき声が聞こえるが、ちょっと違和感。最初に見せてくれた黙ってる闇の方がもっとずっと怖くない?女のストレスを甘く見ちゃいけない。人によるけど。