シアターコクーン 『エターナルチカマツ ETERNAL CHIKAMATSU』

 プロジェクターで映し出された白柿黒色の中村座の定式(じょうしき)幕。客席の人の頭が遮ると、影になって消えてしまう。幻の幕。幻の芝居。

 幕が開くとリーマンショックを語る映像、いろんな人が大きな損失を出す。鮮やかな映像はすっと消えて、そこは歓楽街の侘しいしもた家になり、深津絵里の娼婦ハルが、何やら怒っている。売り上げが一万円合わないのだ。ハルは真剣だ。いつも数字に換算してものを考える。年を取ること。金を稼ぐこと。そのための客。そのための回数。夫は自殺し、借金を負ったハルは絶望している。愛に執着しない。愛がなんだかわからない。

 ハルは金をもらって妻子持ちの男(中島歩)と手を切る。そんな自分に絶望が募り、ハルは橋の上から水をながめる。するとそこに、江戸時代の遊女小春(中村七之助)が来合わせるのだった。

 この現れ方が自然でいい。別の時空にすんなりと入れる。客(実は紙屋治兵衛の兄孫右衛門=音尾琢真)が怒るのを止める小春のかたちがうつくしく、たおやかなうえにきっぱりしている。遊女たちのうちかけがぼろぼろであるところが、古い昔が生きて今現れたような、現代との連続性を一瞬にして感得させる。おさん(伊藤歩あゆみ)のあの人は帰ってくるというセリフは素晴らしいのに、それまでがきれぎれで惜しい。関西弁むずかしいよね。治兵衛(=二役、中島歩あゆむ)は、まず安定した発声をがんばろう。

 私にはこの芝居がよく解ったとは言えない。ハルが心中する二人に語る言葉が弱いと思う。この言葉でハルは自分の説得もしなくてはならない筈。最後の方のシーンでとてもびっくりするんだけど、びっくりしているうちに終わってしまった。ハルは、自分の見失った半身、見失った愛を見つけたということで、いいのだろうか。