新国立劇場小劇場 鄭義信三部作vol.1 『焼肉ドラゴン』

 『焼肉ドラゴン』、一度目はテレビ、再演は観に行って、今日は三度目。在日韓国人の人々が、違法に住んでいる関西の町。そのバラックの立ち並ぶ一角に、「ホルモン」の看板を掲げたドラゴンはある。高度成長期の日本を背景に、店を営む一家の哀歓を描く。

 家族の末っ子時生(大窪人衛)が、隣のバラックの屋根に上り、桜の舞散る景色に叫び声をあげる。下から声をかける父龍吉(よんぎる=ハ・ソングァン)に対して、時生はただはげしく梯子をたたいて見せるだけなのだが、父は即座にそれが(上がってこい)という合図だと理解して、梯子に取りつく。この、言葉にならない動物的な感じ。家族の感じ。時生は年の割にまだ幼くて、人になる以前の清らかな生きもののようだ。そしてその叫びは、哀しみと喜びを、同時に表わしているように聞こえる。姉たちの愛のもつれ、はげしい諍い、そのたびに私の頭の中を、バラックの屋根の時生の声がつんざいてゆく。「いやでたまらない」「愛しているよ」二つの意味を持つ、あの叫び声が。

 長女静花(馬淵英里何)は水場で妹の夫哲男(高橋努)に告白されて、辛そうな顔をする。つらいもん。でも、(甘くて鹹《から》くて苦くて酸っぱい顔をして)と、思っちゃうのである。あそこ、好きなシーンなのだ。母英順(よんすん=ナム・ミジョン)が、ごはん食べてきたと涼しい顔で言う次女梨花中村ゆり)のうしろで、ものすごい形相をしているところも好き。太鼓の響き、アコーディオンの音、あのころの、ぴかぴかしていた歌謡曲、もうもうと立ち上る焼肉の煙、明るい大声の陰で流れる暗い時間。

 どの俳優も、技を尽くし、持てる力を振り絞っていると感じた。それに値する芝居である。