彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾 『尺には尺を』

 のん気にパンフレット買って客席に入ると、舞台上に人、すでに何か始まっている。ああっ、損した気持ち、袖から大きなセットの背中がのぞき、赤いコーンが3つ置かれている。

 「何かは始まっているけど、何かは始まっていない」不思議な景色だ。柔軟体操する者、せりふ合わせをする者、上手から下手へ横切る者、スタッフが舞台に丁寧にモップをかける。5分前のコール。ハンガーラックが引き出され、みな銘々の上衣を羽織る。舞台上が混み合う。誰もが身体が静止しないように気を付けている。揺れている。陽炎みたいに。ハンガーの色がとりどりで、現代的に安っぽくて、それが美々しい衣装や今配置された大きな壁(七つの大罪の絵がある)と混ざり合う。重い鐘の音、整列した役者たちがお辞儀をする。

 ウィーンを統べる公爵(辻萬長)は綱紀の緩んだ国を離れるといい、万事に厳しく行い優れたアンジェロ(藤木直人)に後事を託す。アンジェロは恋人ジュリエット(浅野望)を妊娠させたクローディオ(松田慎也)を死刑に処そうとする。クローディオの妹イザベラ(多部未華子)は、兄を救うため奔走する。

 クローディオの、笑うと頬のあたりが窪む生き生きした顔と、アンジェロの無表情が対照的。イザベラに弾劾されるアンジェロは、うすく笑ったり、瞬きしたり、次第に青ざめてゆく。この狼狽した芝居がとてもうまい。しかし、まるで小型のマクベスに見える後悔の念など、もっと深くやれるはず。捨てられた恋人マリアナ(周本絵梨香)は地味な女という設定のようだが、声が響いてよくとおり、まごころある、美しい女である。「愛を交わしあった」というセリフ、もっと大事に言ってほしい。

終幕、駆け出したイザベラが空に向かって両手を差し出す。ここは何かが終わっていて、何かが終わってない空間、あの少女がイザベラか多部未華子か、判別できない場所なのかもしれない。だから空を見上げて私たちは涙を流すのだ、「芝居の外」の終わってしまったもののために、「芝居の中」の終わらないもののために。