東京芸術劇場 シアターイースト 『宮本武蔵(完全版)』

 世の中の大人と言われる人たちの中身って、たいていは14歳ではないかと疑っている。表側に「常識」とか「社交辞令」がくっついて、本音の「えーやだ。」とか「きらい。」を飾っているのだ。

 ここに一篇の不思議な時代劇、登場人物は皆拙者と名乗り、相手を貴殿と呼ぶ。語尾には必ず「で、ござる。」がつくが、サムライたちはどう見ても14歳なのだった。宮本武蔵山田裕貴)のしょうもない悪ふざけで佐々木小次郎矢崎広)がキレ、反省を迫られる武蔵が逆ギレするシーンなど、中学生である。14歳って、人間関係の精髄(エスプリ)だなー。大人の体の中の本音のぶつかり合いだ。そんなことを考えながら観ているうちに、この14歳達はただの14歳ではない、兇器を持った14歳なのだと思い知らされる。いつでもその気になれば殺すことができ、殺されることがある。しかし、殺害の場面はどれもあっさりと、日常の会話の延長のように語られる。ふわふわした、まるでその場の雰囲気のような、たよりない、実感のない感じ。必死にいまわの際の長台詞を喋っていても、一方でそれを無化するような「ざんねん」が起きて笑いを誘う。おとぎ話のような残酷、こうした軽さが、終わりに一変する。刀の柄に手をかけようとするサムライの一人伊織(金子岳憲)の体がひくっとふるえ、膝に置いた手が静まらない。今までの死が急に重く感じられ、ここが全編のバラスト(重石)になっている。最後はぽんとすべてが消え、まるで蓮の花の咲く音を聞いたみたいである。

 武蔵の山田裕貴、好演だが、恋愛関係の時、もうすこし人に迫るリアルな怖さが(バラストが)ほしい。青年団志賀廣太郎、山村崇子の二人は、もっと淡々とやったほうがいいかも。うすいパンフレットに団扇がついて二千円。ちょっと驚いた。