シス・カンパニー公演 日本文学シアターvol.3【長谷川伸】 『遊侠 沓掛時次郎』

 むずかしいと思っていた。16歳の高校生洋子(萩原みのり)が仁義を切る冒頭シーンである。なんか時代錯誤(アナクロ)だし、リアリティがないじゃん。

 ところが、おひかえなすって につづくセリフを聴いていると、「今16歳の少女」の今しか出せない気分が流れ込み、とても涼しく爽やかなのだった。長いセリフを喋ると洋子の息は上がり、「えーっ」と驚くとその「え」には正しく濁点がついていて、いつの時代かわからない芝居を現在の私たちのもとに引き戻す。この配役のおかげでこの芝居は成立した。

 もちろんアナクロは計算されたもの、劇中劇になっている芝居を、どこからはいりこんだのかわからない(おひかえなすって が閾なのだろうけど)くらくらする空間に変えるための道具立てだ。西瓜を食べる、プロレタリアートを名乗る、炭をつぐ、そのたびどこかに入れ子の幕がないかと探してしまう。応量器みたいに、鏡に映す鏡みたいに、幾重にも芝居は重なり、連なっている。

 長谷川伸の『沓掛時次郎』を末枯れた小屋で上演しようとしている旅の一座。ここにリュックを背負った高校生洋子がやってくる。一座の段三(段田安則)と洋子は、少しずつ心を通わせる。その小道具となるのが一高生の手記『二十歳のエチュード』である。最後に原口統三のことを語るとき、洋子はもっと丁寧に大切に口にした方がいい。後半がんばろう。きぬ子の西尾まり、かわいいかわいそうな役だが少し感情を隠し気味にして欲しい。見つける楽しみが少なくなっちゃう。

 「ネットの北村さん」にいろいろといわれたが 驚。 って感じで怒る気もせずあれもこの芝居の一部、幕を引かれたメタ現実だったような気がしている。