シス・カンパニー公演 『エノケソ一代記』

 「本物のニセモノになりたい」

 なんだろ、その情熱。たまにネットで、女友達のネックレス、バッグ、服、車、家、夫選びまで真似をして、友人にこわい思いをさせている女の人を見かけるけど、あれだろか。遠浅の海で、平和に遊んでいたのに、突然足を取られ、背が立たなくなって水を飲む。急にくるホラー。

 『エノケソ一代記』も、エノケンが好きすぎて、好きなあまりに笑えることが次々に起こる話かと思ったら、途中でこわくなる。真剣すぎるエノケソ(市川猿之助)は、おかしくて、こわいのである。ホラーとコメディは紙一重だ。そのこわさを隣で、何でもなさそうにけしかける座付作者の蟇田(浅野和之)はメフィストみたいだが、ほんとのこわさは二人のやり取りの熱狂の中から生まれてくる。そこが見えない。この芝居の、急に深くなるポイントがわからない。いつの間にかそういうことになっていましたというのでは、遠浅の海が続いているようでちょっと残念だ。エノケソは、やりたくないなと思っている。だが一方で、一瞬でも、(やろっ)と思うはずだ。その踏ん切りを、見せてくれてもいいんじゃないかなあ。コメディからホラーに変わる皮膜一枚が、あいまい。コメディが重いような、ホラーが浅いような感じがしちゃう。

 最後のエノケソには名前がない。そこんところが一番怖かった。熱狂の余り、名前も取り落としたんだと思ったのである。ニセモノと本物はややこしい。エノケソはあくまで「真似」で、本物以上にはなれない。取って代わることもできなければ独立することもない。その悲哀。しかしお盆をカンカン帽に持ち替えて踊るエノケソは明るくて、のんきで、すてきだった。幕切れは今までの展開が夢のように思える魔法のリカバリーである。