ムジカーザ 『第七回 上原落語会 第三部』

 あの、代々木上原の駅なかのモールを通り抜けて出る上原銀座の道を、西原の方へ下って、どんつきの坂を上がる。住んでたことあるけど、一度も上がったことのない坂だと断言できる坂の登り口に、「ムジカーザ」はある。はしゃぐ子供が何人も通るクリスマスイブだ。打ちっぱなしコンクリートの函。座席は二階もあわせて百席ちょっと、壁に設けられたスリットから薄暮の光がさし、誰がここにこういう物作ろうと思ったのかわからないけど、おしゃれなホールだ。うすく寄席太鼓が聞こえる。高座に赤い毛氈が敷かれ、紫の座布団が目の高さ。上手のめくりには黒々と寄席文字が。今日は三遊亭萬橘の落語を聞きに来た。それと吾妻光良DUOの音楽ね。

 まず、萬橘さんのお弟子さんのまん坊さんが一席勤める。『強情灸』。お灸ね、私も据えたことありますよ。説明書に熱かったらすぐはずしてくださいって書いてあるよね。「あつっ」ってなったらすぐはずす、それができないとぎゅーっとしりあがりに脳天にしみる熱さなんだよね、患部が湿ってると火傷しちゃうし、噺家さんも、一度といわず日常で据えてるとリアリティが出るのかな。まん坊さんはちゃんと据えたことがあるみたいだった。腕に盛り上げた艾が見えたもん。

 次が萬橘さんの落語。『寄合酒』っていうらしい。皆でいろんな物を持ち寄って酒を飲もうとするが、皆が皆、「与太郎よりは賢い」と思い込んでいる(ように見えた)手合いで、よってたかって乾物屋に大損させていると思ったら、実は...。という話。

 次々に仲間が来ておかしいことをいう所ではなく、世話役がせつなそうに「いらいらする、お前たちと話してると」といったり、がっくり肩を落としたりする受けの芝居が面白かった。仲間の登場が、単調なのかも。野原の味噌のくだりは、とても「小学男子」っぽく、意を決してなめるところとか迫真だけどちょっと苦手。笑っちゃうけど。背負った干鱈がちゃんとかさばって見えた。

 続いて吾妻光良さんと牧裕さんが登場。吾妻さんはリゾネーターギター、牧さんはウッドベースを抱えている。

 ギターを少し鳴らしただけで、今まで聞いたどのリゾネーターギターの音とも違う、かわいい、おもちゃのような音色、すこし乾いた軽い音がする。子供の時持っていた、プラスチックの胴に細いワイヤーを張ったギターのおもちゃの手触りを思い出した。硬く張られたワイヤーを少々押したって子供の指ではびくともせず、おもちゃはぺんぺんと高低のない音で鳴り、ひたすら指が痛い。あのおもちゃの中からプロの音が飛び出してきたみたいなのだ。ギターとウッドベースは、「G?」「G」という恐ろしく短い打ち合わせをした後、晴ればれとなる。かっこいー。Laughing In The Rhythmと、いったっけな、あっははと笑い声の入る曲。ネズミ大きい?ちいさい?中(ちゅう~。)とか、前歯が抜けちゃった子のうたとか、吾妻さんは落語にあいそうな歌をちょっと考えましたと控えめにいっていたけど、相当考えたと思う。お洒落な土臭さだ。1930年代から50年代の曲を聴くのが好きです、と、むかしのルーズベルト(大統領) イン トリニダードという曲をもじって、アベさんトリニダードに行く、という歌も歌ってくれた。「このマンゴーおいしいわね」いったいそれになんのいみがある!

 私が好きだったのは40年代終わりのヒットしなかった曲。奥さんが出て行って、「犬猫と残された俺」を歌う切ない歌なのだった。がらんとした家で、奥さんのまわす鍵のかちゃっという音が聞こえてこないかと待っている男。The Dog,The Cat,And Me だって。まず題名がいいよね。吾妻さんは俺とポチとタマ~と、うたっていた。ギターをちょっとでも失敗すると、吾妻さんは弾きながらすごく残念そうにするのだが、失敗すらもタペストリーのように音楽に織り込まれて、いい模様になってるみたいな。楽しいひと時でした。

 仲入りがあって、最後に萬橘さんの落語、酒屋の小僧が勘定を取りに来たと思ったおばあさんが、顔を伏せたまま、夫が生きていたころはこんなじゃなかったとかこちながら言い返す。ここがもの凄い写実。「貧(ひん)」の写実だ。水彩の筆で一点グレーに影を入れただけなのに、全体の話が大きく深くなる。ばあさんの着物の、肩のあたりのつぎはぎや、撚れて縄のようになった帯など、見える気がした。ばあさんの娘お鶴が殿様のお目に留まり、屋敷で妾奉公することになる。お鶴はめでたくお世継ぎを産み、お鶴の兄の八五郎がお屋敷に参上する。八五郎と大家さん、八五郎と屋敷の人たちのやり取りで笑わせるが、リアルがも一つ入ってる。お鶴につらいならおれが連れて帰ってやるというくだり。目が真剣(マジ)。一瞬、きらっと刃物を抜きかけたみたいで、笑いと、貧の辛さが、裏表に見えるのだった。これ、「妾馬」めかうまって話だってね。題名だけなら知っていた。大事にされてる話だってことも。(これがめかうまかー。)水の実体と名前がやっと一致したヘレン・ケラーみたいに感心する。笑いと悲しさが一体化しているんだね。萬橘さんが、とっても真面目な噺家さんに見え、それが残念なような、すごくよかったような、妾馬みたいに裏表で全然景色が違ってくる心持で、家に帰った。