明治座 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

 幕末、横浜の港崎遊郭岩亀楼。病に伏せる亀遊花魁(中島亜梨沙)の世話をやく芸者お園(大地真央)。亀遊はアメリカ人イルウス(横内正)に気に入られてしまい、思う人にも裏切られたと思って剃刀で自害する。それがいつのまにか、立派な辞世の歌を作って死んだ攘夷の志と評判になり、その死を発見したお園は、亀遊を語ってちょっとした人気者だ。話はどんどん実際の亀遊のそれと似ても似つかぬものになっていく。噂を聞きつけて、攘夷派の侍たちが岩亀楼にやってきた。

 通辞の藤吉どん(浜中文一)の、二幕初めの歌いだし「いつか」、ここが、綺麗で集中力があり、よかった。憧れと希望とデリケートさが詰まっていた。藤吉の芝居で一番重要なのは、愛する亀遊に通訳をしながら裏の本心を告白するのに、表から見るとそれが亀遊を売り買いする言葉になってしまっているところだ。もう少し亀遊を意識しているのがわかるようにやってほしい。

 大地真央のお園は、一幕、せりふを全て音楽的にしゃべる。せりふのひとつひとつが譜になっているようで、決して音を外さず、乱れない。二幕のコミカルなシーンでは、逆に堂々と外してくる。かっこいいと思ったが、閉めっきりの部屋で寝ている亀遊への同情心を示すため、あの場で一か所くらい破調が必要だと思う。

 岩亀楼に浪人たちがやってきたとき、刀を携えている手が左右まちまちなんだけど、あれは、①左手(今にも斬られそう)、②右手(そうでもない)、③左利き、どれかな。

 「うそ」と「ほんと」をめぐる面白い音楽劇となっているが、「圧し潰されていくほんと」「圧し潰されている女の人」の芝居としてはどうかなあ。少し物足りない。思誠塾の人々が冒頭ユニゾンでなく二声でうたい、なにかはっとした。