杉本文楽 『女殺油地獄』

 世田谷パブリックシアターの舞台の丈いっぱいに広がる大きな暗がりを、こちらも目をいっぱいに見張って見上げる。人形になったような気がする。あの暗さの向こうに、今日あたしが繰り出す膝、伸ばす指先の、決められた道筋があるのだ。そしてその先にキメラレタ死がある。てなことを考えながら舞台をながめていると、真ん中を止めて目のようになった幕が下りてきて、ひとつ、二つと柝の音がする。笛がなり、いわゆる「薄どろどろ」になって、鬼火が青く光る。中央に何か点々と光るものがあり、それが老人の人形の、着物の柄が光っているのだとわかってくる。老人は下手や上手でちょっと伸びをしてみせる。近松門左衛門。惜しい。このマイクに乗せた門左衛門の音が、不用意。それとどうして関西弁じゃないのか。近松自身による解説が済むと、三味線が三挺登場(鶴澤清治、鶴澤清志郎、鶴澤清馗)。たわんだ、ふしぎなアルペジオが聞こえてくる。湿気を含んだ空気が次第に重くなり、雲を呼び、暗くなる。手探りでゆっくりと、嵐の方へ、キメラレタ死の方へ、追いやられていく。三味線の糸の上を、しゅっと指を走らせるのが、嵐の息みたいだった。

 この後は素浄瑠璃(竹本千歳太夫、鶴澤藤蔵)で不良少年河内屋与兵衛の父親と母親との、子どもを見捨てることのできない辛い親ごころのくだり。子供って、絶対に姿が見えないとわかっていても、いつまでも曲がり角を振り返って様子を見てしまうような、諦めのつかない、始末に悪い、かわいいものなんだなと思った。

 とうとうお人形が登場する。深い舞台から、まず豊島屋女房お吉、それから間をおいて与兵衛。お吉を見守る与兵衛の気配が不吉。眼窩がかげると、怖い顔に見える。「不義になっても貸してくだされ」の所を近松人形が説明していたけど、それは説明じゃなく、芝居で見たい。凄惨な殺しの後、静寂にいつまでも滴る音がよかった。