good morning N°5 『豪雪』

 白い段状の舞台で「GOOD MORNING」と書かれたTシャツを着た俳優たちが物販をしている。彼らは芝居の準備のためにほどなく去る。一人残された作・演出の澤田育子が、上演中の諸注意を説明する。この芝居(ダシモノ)ではまず、飲食自由、飴の包み紙の音自由である。静かに見ていただきたいシーンはないと、澤田は言い切った。トイレに行ってもいいしケータイ切る必要はない。滅多に連絡のない好きな人からの電話だったらどうするのか。喋ってもいい。そのお喋りの方が面白いならむしろ芝居止めて聴く。

 雪が揺れる黒い幕から降ってくる。芝居が始まった。雪にまつわるいろんなシーンが演じられ、どうやら細雪が下敷きになっているシーンもあるが(ここは後半にいい話としてつながる。しかしいい話は「たてて」ない。)、なんか、そんなことはどうでもいいみたい。世界からエロスを剥ぎとり、可笑しさを抽出するところに主眼がある。観ているうちに、自分が大学生になった春、綺麗な女の子たちが行きかうキャンパスで、「私の顔って記号だな」と考えたことを思い出した。他人と自分を区別するために「顔」はついてて、ただ、それだけだ。ここに登場する裸体も、何らいやらしくなく、その他の人と区別するため、「私」であるために数独のパズルを書き込まれているのである。美醜を越えている。そのあまりのエロスのなさに感嘆した。

 ただ、野口かおるの上に上衣をかける藤田記子の仕草が、女らしく優しく、「裸」になることを「恥」、「傷」に思わせる。そう思わせるくらいならやってはいけない。セリフが叫びすぎで、聴きにくい。

 喋ったり途中でトイレに行ったりケータイに出る人もなく、行儀のよい普通の上演だった。ちょっとざんねん。