新宿武蔵野館 『望郷』

 子どもの鉛筆の持ち方が変でも、一家の実権をもつおばあさんと同じであるため、直してやることができない。というようなことは結構よくある。この映画に出てくるとある島の田山家も、そのような家の一つ。母親が無意識に、娘を自分より幸せにすまいと図り、祖母は嫁に自分と同じ不幸を経験させようと強く牽制する。

 祖母の田山セツ(白川和子)はいつも遠くから映され、アップになることはない。白川和子を使っているのに、映画はこのおばあさんを、紋切型の姑にしか撮らない。方言も使わないし、その愚痴もスルー出来そうな程ありきたりのものだ。怖くない。リアリティがないのだ。そのリアリティのなさが、あとへあとへと、ボタンを一つ掛け違ったように効いてしまう。

 田山高雄(相島一之)と田山佐代子(木村多江)の夫婦は、セツの死後、どちらが主導権を取るのかよく解らない。晩酌をする高雄は画面を観ただけで人柄が彷彿とするくらいぴりっと造型されている。ぺたっとした髪、冴えないメガネ、うまそうに飲む酒。佐代子の心事が、よく伝わらない。

 にもかかわらず、田山夢都子(貫地谷しほり)は、幅いっぱいきっちり役作りして歪んだ家の一人娘を演じる。帳尻があっていて不思議だ。一方、中学教師の大崎正一郎を演じる緒形直人は、目立った芝居をしない。しないといっても盃に酒があふれそうになる表面張力を感じる。つつけば芝居がこぼれそう。いじめ首謀者の母深田素乃子(石橋けい)も何もしないが、体に場の空気を通していて、余力のある人だと感じた。

 いろんな人の様々な心事、人事、雑事を抱え込んで島と海に日が照る。入江が美しい。船が行きかう。そういう場所を思う心が撮れている。