イキウメ 『散歩する侵略者』

 高速道路の車の音と、波の音とが混ざって聴こえるような。けれどやっぱり波の音だろうか。はるか遠くから打ち寄せる長く続く波音。悪い夢のように椅子がいくつも、思い思いの格好で倒れている。アスファルトの上にアスファルトが乗り上げたように見える三分割された舞台、真ん中の地面は坂になっている。その坂の上に立って、こちらに背を向けた一人の男が海を見ている。男の名前は加瀬真治(浜田信也)。三日間行方不明になった後、保護された。しかし彼はもう以前の真治ではない。脳の病気らしいと診断された真治は、毎日散歩に出かける。同時に、町には奇妙な病気が流行り出し、隣国との軍事的な緊張が高まる中、残酷な心中事件が起きる。

 観終わって、あの長い波の音は、恐怖を運んでいたんだなーと思う。薄い皮一枚隔てて私たちを浸す恐怖、頬を掠めながら振り下ろされる刃。今にもはじまりそうな戦争、普段は意識しない、世代の違うものたちへの畏怖(大窪人衛と天野はなが楽しげに悪魔的な若い“異物”を演じる)、夫や妻の人格が変化してしまう姿。皮一枚で危うく成立している毎日を、芝居は衝く。でも奪われるばかりでもない。仕事をやめた青年丸尾清一(森下創)は、自由になり、新しい考え方を得る。

 浜田信也がまばたきさえ抑え、「人格が変わって帰ってきた男」を演じる。全編通して、とても素敵な男の人に見えた。全員がストイックに話の結構を支え、そこから生まれるリアリティが恐怖やカタルシスを成立させている。内田慈、先走った気持ちが溢れちゃわないように気を付けてね。

 妻加瀬鳴海(内田慈)の、真治の肩をおさえる手が優しく、あの概念は、もしかしたら、奪いきれないのかもしれないとロマンチックなことをちらりと考えたのだった。