日生劇場 『黒蜥蜴』

 「フローティングワールド」

 と、思いながらゆっくり目を閉じる。「時間の冷たい急流」を、上手から下手に流れてゆくビルの窓、舞台奥からせり上がってくるエレベーターの骨組みの映像を見ていたら、目眩が来ちゃったのだ。

 たぶん、黒蜥蜴の棲む世界は、風に飛ばされる海の泡みたいに、その無情の鎧もろとも動かされて、「愛」に浸されていく。

 舞台には蒼い鉄に見えるアーチが二つあり、上手に二周するらせん階段がついている。アーチの間に大きな弧を描く半透明の窓ガラス様のものがかかり、これが動く。

 緑川夫人(中谷美紀)が宝石商の娘岩瀬早苗(相楽樹)や明智小五郎井上芳雄)と語る間、戦前のショウガールのようないでたちの黒蜥蜴の手下(原作では侏儒、小松詩乃、松尾望)たちが螺旋階段を伝って、離れたり、絡んだりしながらゆっくり踊る。この二人の存在が、「ピュアな悪」のエロスを漂わせていて、芝居を引き締める。会話の底にある昏いもの、甘美な死、夜の誘惑が、現れているのだ。「家庭の団欒」の外にあるものが、容易に想像できる。家庭の虚偽や愛のいかがわしさが剥がされるところは面白いが、三島が黒蜥蜴(中谷美紀)の恋心をむき出しにしていく無情さと言ったら、「明智小五郎、ずーっと黒蜥蜴の本心知っててずるいなあ」という気持ちにさせられ、常に明智がうわ手であることも(変装が鮮やか)、黒蜥蜴を少し可哀そうに見せる。黒蜥蜴は美しく、鋭い光を奥底に隠している。可憐な花のような(ルヴォーによれば星のような)最後のセリフと裏腹に、彼女は指輪の蓋を開ける。三島は手下の「青い亀」(本作では浅海ひかる、好演)に黒蜥蜴を抱き起させた。だが、ルヴォーはちがう。ここんとこを見て、私はほろりとした。それはまるで黒蜥蜴に捧げられた、可憐な花、可憐な星のようではないか。