Bunkamuraオーチャードホール 『マリア・パヘス&シディ・ラルビ・シェルカウィ DUNAS』

手拍子を打つ音、楽器の調子を取る音が、微かに聴こえる。ふつふつと呟くように、幕の後ろでバイオリンが鳴ってる。

 煮えていく鍋を考える。ちいさな足拍子が、たたんと響く。

 幕が開いた。上手と下手に客席に垂直に薄幕が張られ、それを上手は女性(マリア・パヘス)が体ごと引っ張って舞台センターに歩み寄ろうとしている。下手からは男性(シディ・ラルビ・シェルカウィ)が、やっぱり幕越しに中央へ、女性と向き合おうとして歩いてくる。私の席からは女性の美しい背中が幕の後ろからちらりと見えた。中央で立ち止まり、右手を上げ布を隔てて男性の左手と合わせる。次に左手を高く上げ、合わせる。幕の中から上半身が出て、中指の爪の先が合い、手首を合わせてくるりと一周する。

 「触れる」ということ。「触れる」にはいろいろな段階がある。切ってしまった爪、脱ぎ捨てた服のような空々しさから、指先が触っただけで胸を一撃される強烈さまで。舞台の始まりの「触れる」には、何かもどかしさが付きまとう。人は「表面」から、逃れることができない。「触れる」のは「表面」である。表面は砂丘のように姿を変える。変容する「表面」が「触れる」男女を引き離す。男は女の「踊る手」を邪魔しない、それがせめてもだ。パヘスの美しく整って踏み鳴らされる足拍子に、女性の苛立ちと、怒りと、情熱がこもっている。シェルカウィとパヘスが同じ振りを踊るとき、確かにその振りは同じなのに、鮮やかに異なっている。そこがとっても素晴らしい。これは一人の人間の二つの顔なのだろうか。それから、薄い幕に投射される砂絵。砂の奥から男の顔がのぞく。ただ食物連鎖などの絵に「?」マークをつけるのは、意味がつきすぎじゃないかと思う。