ブルーノート東京 矢野顕子トリオ featuring ウィル・リー&クリス・パーカー

 オープントゥの靴を履いている女の人は、青山の街にも、ブルーノート東京にも、もうほとんどいない。8月下旬。秋だね。初めて一人で来たブルーノート、割といっぱいいっぱいです。

 スタッフがピアノの前に譜(歌詞のようにも見えた)を置く。ピアノの中央の「C.BECHSTEIN」の鈍い金文字が見える席。高級、よい音で知られるベヒシュタインのなかでも、いい種類だということがわかる。ピアノ越しに、青く照らされているドラムスが見えた。矢野顕子お勧めのずんだのパフェ、ずんだって、枝豆の皮をいちいち剥がさなきゃならないから自分では作りません。お洒落なパフェの口に広がるすりつぶした枝豆の青く懐かしい味、暗がりの中で確かめる東北の遠い遠い、広い旧家の板の間のすり鉢の気配。これちょっと矢野顕子に似てないか?表面のクリームをスプーンで割りながらしばし考える。いやいや、下手の考え休んでるみたいなもん、だって、ほら、ベース(ウィル・リー)とドラムス(クリス・パーカー)が駆け足で舞台に上がり、腕周りのゆったりした緑の服の矢野顕子ブルーノートのスタッフに先導されて登場した。

 ウィル・リーは白いTシャツにグレーのチェックのジレ、赤いベースを抱え、暑さ除けの風に当たっている。前髪がふわっと風で浮き上がり、サングラスがクール。かっこいい!弾きもしないうちから、めっちゃ弾けると感じる。たたずまいが違うのだ。メルセデスの塗料が、とろりと分厚いような感じなのだった。それは白の長そでシャツに黒のジレ、ドラムスのクリス・パーカーの静かに待っている様子も同じである。と、舞台上で問題が起き、青くなったスタッフが2人、調整に入る。ウィル・リーが「ちょっと待ってください」と日本語でじょうずにいってベースを弾き始め、軽々と短い歌にする。矢野顕子が(英語で)「その歌あるよ」と(とうとうじかに聞けたあの声、)ピアノで『ちょっと待ってください』を歌う。ピアノがうたい終わるとベースがまた始める。これ録音しようあした、てなことを言っているうちに機材直る。その間矢野顕子は、予期せぬことが起こる、これも人生。と悠揚迫らざる態度なのだった。

 子どもたちのきゃあきゃあ騒ぐ効果音に続いて、「ひまわりの影が短い」と『夏休みの子供』がオープニングナンバーだ。一曲目から背骨が揺れ、ぱしっと気持ちよく音が入ってくる、そして、そしてこれ名曲やん。糸井重里、『ふりむけばカエル』だけじゃなかった。夏の全てが詰まってる。2曲目はキーボードに向かい、C’mon Let’s Falling Loveと歌う曲。ドラムス、ベース、ピアノと、なにかサウンドを眺めている気分。明るい茶の揺れる髪、むかしテレビで矢野顕子のライブやったとき、髪の色がとっても素敵で(なんだろう、なんか「巴里」っぽいつやつやした栗の色なのだった)あの色に染めたいなと思ったことあったなー。

 矢野顕子は、こんばんは矢野顕子です。1年ぶりにブルーノートに帰ってこれて、家に帰ってきた感じです。皆様ようこそ我が家へ。カクテルおかわりの方。あ。どうぞどうぞ。などと言い、次に『悩む人』を弾きはじめる。

 あたらしい朝まではここに悩む人

 矢野顕子の声を、口蓋と喉にちょっと力を入れて真似ながら、自室で何度も何度も歌ったもんだ。しかし、ライブをみればすぐわかることだが、矢野顕子はあの声を、「肚」から出している。担保がない。凄みがある。『悩む人』聴いてるうちに、何を聴いているのかわからなくなる。20代のひよこ色の短パンはいて歌ってた自分か、思い出か、なんだ。心の中はもう泣きじゃくっているのだった。指の先でピアノに波を立てるように押すように、矢野顕子が音階を弾く。Welcome To Jupiter、ドニー・ハザウェイの曲、段々に音楽の姿が見えてくる。

 ドラムス、ベース、ピアノ、それぞれがきりっとしたこれから綯う縄みたいなのだ。低く唸るしっかりしたベース(ぜったいださくならない垢抜けた音)、これ見よがしにならないセンスいいドラムス、たくさんたたいてもクールだ、そして矢野顕子のピアノ。ピアノの勁い音と、それに対立するような、負けまいとして出す声を聴いたとき、わあと思いました。

 ピアノはともだち、

 ピアノはモンスター、

 ピアノはライバルなんだなー。

 三本の清浄な縄が、互いを求めて空間に立ち上がっているような、少し怖い光景、低い地鳴りのするベース、攻めの手を緩めないドラムス、捩れる声とピアノ、次第にすべてが撚り合わさっていく。舞台の3人は弾いているけど聴いていて、その聴くことの中に見ることが入っている。この人たちは見ているのだ、音が空へ身をひねりながら昇っていくとこを。