東京富士美術館 『長くつ下のピッピの世界展  リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち 』

「『ピッピ』シリーズが人生を変えた、と語ってくれた人も大勢います。でもね、最高のお賞めの言葉は、あるときだれとも知れないご婦人が紙きれに書いてくれたことづてです。『暗鬱だった子ども時代を、輝かせてくださって、ありがとうございました』。これだけでしたが、わたしは満足しました」(『子どもの本の8人』ジョナサン・コットのインタビューによる)

 ここんとこ読むと、いつも泣く。ピッピが大好きだった自分、夜寝る時も、滑り台をすべる時も持ち歩いていた『長くつ下のピッピ』を思う時、気づかない所でとんでもなく憂鬱だった6才の自分の分も、この知らない女の人がお礼を言ってくれていると思うのだ。

 はーい、というわけでとってもとっても遠い美術館にやってきました。スウェーデンの「アストリッド・リンドグレーン アーカイヴ」と呼ばれるリンドグレーンの資料は、書庫で140メートル分ある、というのに、会場の始まりにばーん!とリンドグレーンが娘のカーリンに贈った手作りのピッピの本が飾られている。表紙に肩の張った手足の長いおさげの女の子が、青と赤に塗り分けられた服を着て、「ハーイ」とこちらにあいさつしている。オレンジの長靴下とグレーの長靴下、そしてあのすごく大きい靴。子供の時ボタン留めのエナメルのお出かけ靴がどんなに痛かったか、こんな靴はいてればそれも解決だ、と、大人の心でちょっと笑う。きれいにタイプされた本文は、すでに完璧だった。

 この夏イングリッド・ヴァン・ニィマンの挿絵版の『長くつ下のピッピ』が岩波から発売されたが、私は櫻井誠に申し訳ないくらいすんなりとこの本を受け入れた。岩波の初版のころは、日本の真面目なお母さんたちが漫画を敵視している時代だったから、この躍動する、破天荒な絵は載せられなかったのだろうか。それとも、ニィマンが59年に自死しているために、版権に問題があったのかな。とにかくニィマンのピッピは、敏捷ではつらつとしていて、コーヒーカップをかぶり、垂れてくるコーヒーをものともせず、座っている椅子を二本足にして大笑いしているところなど、こちらも笑わずにいられない。

 かと思うと、ピッピが庭でトミーとアンニカと三人でコーヒーを飲んでいる。ペン画だ。片手で隠れるくらいの小さい絵で、アンニカの碁盤縞のワンピースが、こまかくこまかく、生真面目に繊細に黒白塗り分けられているのをみると、この人は性格にふり幅の大きい人だったんだなと感じる。日本の着物を着た人形を描いた絵が何枚かあり、そういえば『カイサとおばあちゃん』(岩波書店)に出てくる子は皆少し目尻が上がっていて、葛飾北斎が好きだったというニィマンの東洋趣味をうかがわせる。病気で片目が見えなかったイングリッド・ヴァン・ニィマンの人生、伝記がでれば、私かいます。

 その他の本でリンドグレーンの本に挿絵をつけたイロン・ヴィークランドについては、リンドグレーンの最高傑作である『はるかな国の兄弟』に、イロン・ヴィークランドもまた、最高の挿絵をつけている、というにとどめる。大きな滝に棲む恐ろしい竜カトラめがけて巨石を落とそうとするヨナタン、今回の展覧会に来ています。あと、90年代に描かれたこどもは、何かいたずらっぽい老人の妖精のようにも見えて来て不思議です。

 リンドグレーンは17歳で地元の新聞社に勤め始めた後、新聞記者と恋愛して19歳で長男ラーシュを生んでいる。しかし結婚に至らなかったため、彼女はデンマークに子供を預け、ストックホルムで秘書として働いた。そのことはリンドグレーンの軛となり、重石となり、浮き輪となり、作家としての羽の一部だったと思う。それ、もっと早く知りたかった。