明治座 『由紀さおり 50周年記念公演』

 『下町のヘップバーン』

 下町で食堂を営む川端ますみ(由紀さおり)が、もと恋人の芸能事務所社長溝口栄次(渡辺正行)と、映画プロデューサー島本孝太郎(篠田三郎)の間で、ちょこっと揺れる話。

 篠田三郎は最初に下手から登場して川端食堂の戸をガラガラ開ける間ももう真面目な島本になりきっている。渡辺正行がなー。顔の表情をくるくる変えて、駄々っ子のような憎めない感じを出しているのだが、ここ、こらえてほしかった。そこんとこ「我慢」できたら、善人の裏切者とか、いろんな役がやれると思うよ。

 合間で由紀さおりが素敵な星のセットをバックに「ムーンリバー」を歌う。この歌が飛びぬけているので、(なぜ若いますみの娘の美絵《久住小春》がヘップバーンじゃないのか)という疑問が吹っ飛ぶ。

 

二幕

 幕が開くと、羽根のショールを纏った紫のロングドレスの由紀さおりが中央に立っている。足がしっかり舞台を踏んでいる、地に足がついていることにまず打たれる。こうでなければ声ちゃんとでないよねー。

 フリルがついているように難しい上がっていく音階で始まる「Time To Say Goodbye」。アンドレア・ボチェッリの大ヒット曲だ。あれ、50周年の最初の曲がグッバイなの?とおもうが、「旅が始まる どこに続くのこの道」という歌詞で、旅立ちの歌なのがわかる。原曲もやっぱり、旅立ちの歌らしい。力みなく、自然に由紀さおりは歌う。危なげなく、堂々としている。オープニングナンバーにふさわしい。

 歌い終わると、段差の狭い階段を、ちょっとコケットにドレスをもちあげ、ハイヒールを見せて降りてくる。

 「ヘップバーンから歌姫になりました。」すこし色っぽく、そしていや味が全然ない。それは由紀さおりが、とてもクレバーな女の人だからだろうと思う。歌のうまい人はいくらもいる。だけどそれでクレバーな人、センスのいい人というのはなかなかいない。50年にもわたる長い年月、きびしい芸能の世界を生き抜いてこれたのは、由紀さおりが賢く、歌にも、芝居にも、コントにもセンスがよかったからだ。

 続いて「L-O-V-E」、「SMILE」、グループ結成18年のコーラスグループベイビー・ブーと歌う「真夜中のボサノバ」と続く。

 ゆめでもしあえたら、というベイビー・ブーとのハモリがきれいでうっとりする。由紀さおりはいろんな歌い方ができる。声の出し方をいろいろに変えているけど、巧いので気づかれない。さりげなくやっているのだ。後頭部にオペラチックに響かせたり、歌謡曲風に舌にまといつくように歌ったり、細く高い音をきちんと澄ませてだしたりする。お客さんの集中が半端ない。お客さんの耳がトガッテルように、黙っている林が聞き耳を立てているように感じられる。雨のように音を吸い込む林。日本語の歌を聴くってこういうことなんだなと思った。

 ベイビー・ブーが、歌声喫茶でリクエスト第一位になっている自分たちの持ち歌を歌う。「花が咲く日は」、しっとりした歌でした。

 二幕の締めくくりにベット・ミドラーの「ローズ」の主題歌を日本語で歌った。訳詩は高畑勲だ。ここが白眉。一つ一つの歌詞が白い小石のように心に沈み、地図のように絵を描く。

 タカハタイサオガシンデカナシイ

と思い、でもこの歌が生き続けててよかったなと思う。ここで休憩、最後の歌でまだ泣きながらお弁当を食べました。

三幕

 歌のうまい知らないおにいさん(林部智史)が登場して、スモーキーに持ち歌の「あいたい」を歌う。うまいなあ。歌がちょっと途切れるところがとても素敵に聴こえ、ベイビー・ブーといいこの林部智史といい、由紀さおりはよく吟味して共演者を選んでいる。つぎに彼は「母さんの歌」を歌っていた。3オクターブ半も声が出て、カエターノ・ヴェローゾみたいなのに、なぜ「満月のトナーダ」とかうたわないの。この後林部さんは、いずみたくメドレーを由紀さおりと歌って去っていった。

 そして、「夜明けのスキャット」。一挙に小学生の昔に帰る。簡単には忘れ物を取りに帰れないような長く遠い通学路を、黄色い交通安全の帽子の頭をうなだれて、心の中で歌いながら歩いた「大人の歌」だ。ルールールルルー。

 由紀さおりは編曲を違えたり感情を溜めて歌って歌を変えることなくやさしく歌う。若い時から由紀さおりのファンだったと思しいおじさんの背中がピンと伸びている。

この後コンサートは「ルームライト」「俥屋さん」「りんご追分」「糸」と続く。「俥屋さん」の小唄の部分が、洋風の銀のフルートが繊細に歌っているみたいによかった。「りんご追分」は編曲がかっこいい。打楽器にあわせて歌うのだ。最後はアンジェラ・アキの書いた曲で締める。広い広い野に立つ「あなた」と「わたし」が見えるようだった。