東京国際フォーラムホールC 『ルーファス・ウェインライト』

 ステージの天井真ん中から、客席前方中央を、しゅっと一筋サスぺンションライトが照らす。舞台のつらのスタンドマイクが影をつけ、かつ明るく光る。マイクの後ろにグランドピアノがあり、湾曲した側面に観客の動く人影が映ってちらちらする。ピアノがこっちを見てるみたいだ。「スマートホン以外の撮影を禁じます」と(たぶん)書いてあるプラカードを持った係の人が行ったり来たりするけど、スマートホンで撮っていいんだねぇ。とちょっと感動する。

 すーと暗くなる。バンドが位置につく。下手(左)の台の上にキーボードが2人、その下にギター、上手(右)の後ろにドラムス、その前にベース。そしてまんなかにルーファス・ウェインライトが来て、ギターを弾いて歌い始める。April Foolだ。今日は3月29日、そりゃこの歌だよね。バレンタインデーから流れ出した愛が、4月1日で滞る歌かしら。長髪の静かな横顔の『Poses』のCDジャケット写真がとても印象的なので、いま目の前にいるルーファスの髪がトップでいい感じにくしゃくしゃっとしてて、もみあげが白いのに驚く。2曲目のBarcelonaを歌った後で言っていたけれど、ルーファス・ウェインライトは今キャリアのちょうど20周年だそうだ。ピンストライプの黒いスーツを着て、その右胸には光る三日月の大きなブローチをつけている。なにげなく、頑張ってる風もなく、じゃんじゃんギターを弾き下げながら歌う。まぎれもなくルーファス・ウェインライト、近所の小さいカフェで流れていた「賢い人の声」を聴いて、お店の人に「これ誰ですか」と尋ねてから(Posesだった)ずいぶん経つなー。17年くらいかー。やっぱり賢い声だけど、声量凄い。高音だって下から仰ぎ見るように苦しく出すのじゃなく、上から音を「支配している」出し方なのだった。

 4月1日にはブリュッセルで公演とスケジュールに出ていたから忙しいんだなと思っていたが、日本のコンサートの前に長崎と神戸と京都に行ったんだって。南座玉三郎を観たみたいだ。伴侶のことを「ハズバンド」という。彼はゲイだとカムアウトしているけれど、このライヴを見た限りでいうと、ゲイという風に言えない。男でもなく、女でもなく、ゲイでもない。カテゴライズできない、なんかこう、ジェンダーの間でこまかく揺れている繊細な「新しい人」だった。to Barcelonaというフレーズなど、とても大切に、やさしく歌っていて、家族(伴侶?ハズバンド?)がこの歌をとても好きだというのはよく分かる。

 残念だったのは、この曲含めFoolish Loveに至る最初の3、4曲が、バンドの音とうまく溶け合っていなかったところだ。ばらばらに聴こえたよ。コーラスともうまくいっていなかった。そのせいかピアノの前で歌う時、むずかしい箇所に差し掛かると左手が胸の前で祈るような形になっていた。Foolish lo-ve と音を伸ばすところがとてもきれい、ビブラートがさざ波のように正確だ。そのうたい終わりのピアノがどしんと鳴ったのは、これがデビューアルバムの一曲目で、難しい曲だったからなのだろうか。

 Millbrookを凄く早いテンポで歌い、ジョニ・ミッチェルのBoth Sides,Nowと新曲The Sword of Damoclesを歌って、ファーストアルバムの第一部は終わり。

 第2部、ルーファスはびっくりするようなローブを着ている。たぶん、チュールで出来ているとても大きなローブで、白いからますます大きく見え、足元に入ったアクセントの紫色が、裾に向けて濃くなっている。えっこれ着て歌う。しかもCigarettes And Chocolate Milkを。えええ。しかしとても素敵に歌う。2コーラス目からピアノを弾いて、しっとりした歌とビジュアルとのギャップが凄い。右手の小指に金の指輪が光っている。

 この後、ブラックプリンスのようなマントも着るのだが、それが何ていうか、ルーファス・ウェインライトの中の揺れのようにも感じられた。ルーファスは歌巧いけど、その歌の中にも「揺れ」がある。彼が声を張るとき、聴いている方は「眼路が開けた」(晴ればれする)という気持ちを強く持つんだけど、ときどき少しずれた音になって、正しい音へ何気なく近寄ることがある。それがねー、真実にたどり着く人の揺れにも思えるんだよねー。ルーファス・ウェインライトを聴くとき、私は「賢い人の揺れ」を聴いているのかもしれないなー。

 後半、バンドと声がうまく混ざり始め、アンコールのAcross the Universeの力強いリフレインを聴くと、揺れの不確定さの中でつかみ取った、ルーファス自身の「自分」がそこにあるような気がしたのだった。