東京芸術劇場プレイハウス 『世界は一人』

 難解。集合的無意識(個人の意識の古層にある、人類の、或いは民族の記憶のようなのかな)を扱った話だろうねこれ。

 まず、前野健太の「汚泥の歌」は、シンガーソングライター、歌手の歌として大変よく歌われている。でもさ、ちょっとエモーショナルすぎて恥ずかしい。追いつけない。ここでは「素人っぽく歌う」という技巧を使うべきだと思う。はっきり言って次に登場する松たか子の歌、瑛太の歌が素晴らしいのに引き立ててない。松たか子とか、妖精の網を泉からひきあげました。露がきらきら真珠のように光っています。のレベルだよ。瑛太は明け方新聞配達の音を聴く引きこもりの恐ろしいような孤独に届いてない。そこにさえ届けば歌はよろよろでいい。大体、良平(瑛太)の引きこもりの理由が、クープ、フランスパンの剃刀のキズのようにあっさり了解され、彼にとっては「のたうちまわる深いキズ」であることが描かれないので、瑛太があっさりしちゃうのだ。

 概略セリフがシンプルすぎ、なかなかイメージをジャンプさせられない。キズの深さに欠ける。枝葉が多く、険しい山道のような芝居だった。

 おじさんやおばさん、おにいさんやおねえさんがやっている小学生なのに、自然で、淡々としており好もしい。いたずら(?)を考えていた良平が一瞬で吾郎(松尾スズキ)のクイズに心を奪われるところがとてもよかった。

 貯水池のような、皆に共通の深い記憶を辿っているのは藍(平田敦子)なのかなと思ったが、あの三方に突き出した、脳のような、運命の巨大あみだくじのようなセットの中で、それぞれがみんな、「世界」を思い見ているのだなと考え直した。