日生劇場 『笑う男 The Eternal Loveー永遠の愛ー』

 「ミュージカルにおける演技の概念」てものが、もひとつ掴めん。歌唱の安定のために、演技が犠牲になっていいか?演技の充実のために、歌唱が弱くなっていいか?

 まず、この芝居で凄かったのは、セットだ。ダイナミックで計算され、シーンが移るのが楽しみだった。侘しい芸人たちの頭上に灯る無数のランタンの揺れる炎や、豪華に下がるシャンデリア、ジョシアナ(朝夏まなと)の部屋を表わす円形の素敵なカーテン、どれも厳しく考えつめられている。衣装も、グウィンプレン(浦井健治)のぼろいマントが体にぴったりで、それでいて翻すとシルエットが美しい。

 でもねー。そこじゃないの。結局芝居や歌がよくないと、セットも衣裳も輝かない。今日、一番よかったのは二幕の一場、フェドロ(石川禅)と出自を知ったグウィンプレンのシーンだった。召使のグレーと白と黒、小さな白釦がブラウスを留めるお仕着せまで神々しく見えた。裏の裏まで仕切るフェドロを表わすため、石川の歌はきっちり空間全部を背負ってい、揺るがない。浦井健治も一歩も引かず拮抗する。浦井健治二幕の歌どれもよかったけど、だめ押しに盛り上がるところが弱い。シアトリカルでない。只歌がうまい人になっちゃうよ。2014年製の作品として、「見ることを奪われている女の子」っていうのはいかにも前時代的なので、一つ仕掛けがしてある。ウルシュス(山口祐一郎)が裏主人公なのだ。もっとしっかり!弱さ、主人公でなさを出すために緩くした演技、音から外れる歌はどうなのか。宮原浩暢、登場静止画像のよう。歌がよかったのに、惜しい。この芝居の「がんがん行く」スイッチは、案外アン女王(内田智子)にあるのかも。女王いいよ。野放図に行こう。