東京芸術劇場 プレイハウス 『お気に召すまま』

 赤い幕が襞を寄せて「額縁」の中にある。開演時間が近づくと、幕は船の帆のように風を孕んでかすかにふくらむのだった。

 私の頭の中では、あの幕は風で手前の客席の方へあおられて、高く高く、裾がミラーボールにつくくらいに持ち上がり、役者たちは「額縁」の「消失点」に消えていくのではなく、客の方へ雪崩れてくる。

 当代一の若手女優と、当代一の人気若手俳優をフィーチャーして、これ?役割や服で選ばされている「自分」、それを外していったら自分て何っていう話だったのか。最初、シーリア(中嶋朋子)が「ソナタ」「アナタ」「オマエ」とロザリンド(満島ひかり)を呼ぶところで、おっ、となったのだが、セックスのあれこれ、全てが露われている状態が、こんなに一本調子なものだとは。隠しているから顕れた時ドラマチックなんじゃないのかな。そのせいで、

 「あたしゃあんたに惚れとるばい、惚れとるばってんいわれんたい」(民謡:「おてもやん」)っていう、「いわれんわけ」が紙屑のように軽くなり、満島ひかりの動機が保たず(別にギャニミード〈満島ひかり二役〉とオーランド〈坂口健太郎〉が愛しあってもいいし)、結果、きゃあきゃあいうばっかりになってしまう。満島ひかり、まず会話しよう。台詞もきちんと発語できていない。冒頭のシーリアとロザリンドのシーンが、この『お気に召すまま』の世界を示さなければならないのに、まだまだ中途半端。(例えば扇って、社交界ではもっとたくさん使い方があったはず。)ここで置いて行かれちゃった。山地和弘がとても楽しげに堂々と二役を演じる。坂口健太郎古代ギリシャのオリンピック選手みたいだったが、ギャニミードを愛する人と思い込もうとする動機が薄い。みんな台詞言えてないよ。台詞ちゃんと言って。話はそれから。あと32回、がんばろう。