赤坂ACTシアター A New Musical 『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』

 板垣恭一がんばった。日本の演劇が「長らく目を背けてきた」貧困と性差別をテーマに脚本を書き、アメリカに曲の三分の一を発注し演出した。題材はアメリカの19世紀の紡績工場、差別されてきた女たちを主人公とする「現在進行形の」(問題は大して変わってないから)物語である。

 これほどまでに、日本のエンタメ系(板垣による)の演劇人の心の清らかさと、その限界が露わになるとはなー。こういう問題をやろうとすること、それが男の人の手によって、というのが複雑な気持ちであるが素晴らしいとはいえる。

 まずセットが素晴らしい。鳥かごよりももっと目の詰まった、顔を押し付けてやっと息ができるような気のする骨組みの壁が、上手と下手に広がり、呼吸のたびに口の中に金気(かなけ)の味がする窮屈な苦しみを連想する。だが板垣は、開演すぐ、中央の幕を開けてバンドを見せる。(またこのバンドの前奏が弱い。)開けちゃっていいの?演出家の考える、女の人の無力感、閉塞感ってそんなもん?ここ最初に開けるのストライキストライキあったのなかったの?)のときじゃない?

 一人としてへぼな歌を歌う者もないのに、合間の芝居が大仰で古臭い。鴻上尚史もいまはこんなことやらない。大仰な芝居をしつつも、一音も外さないアボット・ローレンス(原田優一)がかっこよく見えた。名誉男性(?)役のソニンと会社に強く反発する柚希礼音の、役へのアプローチは真逆なのだろう。心情から役を作るソニンの台詞や歌は胸に沁みるが、型から入る柚希のそれは精巧なプラスチックの花びらのようだ。谷口ゆうなとコリ伽路の二重唱よかった。芝居の後半が盛り上がらず板垣にちょっと怒る。この後に続くはずの女の人のための芝居の機会を潰さないでほしいものだ。