シアタートラム 『少女仮面』

 黄色に赤のストライプのコーンが4つ。舞台の上はイントレだの脚立だので雑然としている。空き瓶回収の折りたたみボックスもあちこちに点在する。コーンの片側には立ち入り禁止のバーがひっかけられているが、バーの反対側は迷子のように地面に斜めに降りている。あの降りたバーの端は、ほんとうはどこにかかっている?ここが肝。あれ、非実在、幻にかかっていると思う。春日野八千代若村麻由美)、その両足は現実と幻の上に同時に載り、男であり女であり、ヒースクリフでありキャサリンであり、甘粕(井澤勇貴)であり主任(大堀こういち)であり、貝(木崎ゆりあ)であり老婆(大西多摩恵)であり、空襲の焼け跡でありオリンピックを控えた東京である。この両義の作り方がさりげなくかっこいい。青年団よろしく早めに登場した黒い装束のしゅっとした青年が一瞬にして変わり、老婆が白いストッキングを引き上げるのと全く同じタイミングで貝もストッキングを上げる。「だれかである」というのは、どういうことなのか。そのあやふやさをすくいとり、見事である。

 トラムの客席を春日野八千代が下りてくる。羽根を背負い、シルクハットをかぶった若村麻由美は、男役の芯をよく理解しており、つよい印象を残す。彼女の低い抑えた声音の中から、年寄ることを恐れ、麻薬のような過去に飛び、狂乱する一人の「だれでもない女」が生まれてくる。ただ、貝が「へッへへへへ…。」と笑って「役を奪う」ところ、もう一つ鮮やかでない。皆好演しているが、人形(森田真和)の腹話術がんばってほしい。人形振りが完璧なのに(揺れる右足の自然さ!)もったいない。そして、最後の春日野の独白にかぶせるメアリー・ホプキンが、コンマ2秒遅い。

 「カフェ肉体」の壁に、すべてが幻として映る。しかしその壁もいつか消える。私たちは片足を芝居に、もう片足をオリンピック前の東京に載せて、劇場を出てゆく。