CUBE PRODUCE『PRE AFTER CORONA SHOW THE MOVIE』リーディングアクト『プラン変更~名探偵アラータ探偵、最後から7、8番目の冒険~』 

 間隔をあけて並び、開場と同時に入り口前で手指の消毒、検温(カメラ)、靴裏消毒(マット)、チケット確認(係員一瞥)、ロビーにて自分で半券キリトリ、グッズ受け取る(グッズの中にフェイスガード)。

 フェイスガード、うまく組み立てられるかとくらくらする。特に透明のガードに貼ってある両面の薄いカバーに手が震えた。不器用だもん。爪でひっかくとすっと取れて助かった。劇場内はマスクしていても会話できない。大体、2~3席ごとに衝立が立っている。衝立の中に一人ずつ。ガードはやっぱり視界が曇る。やだな。場内の無言の観客が立てるカシャカシャ音が、(そんなこと言ってる場合じゃないだろ)系。悲しい。これ、いつとれるんだろう。

 ふっと暗くなって舞台中央にケラが立っていた。開口一番、「快適でしょ?個室みたいで」という。今日は本多劇場の本多一夫さんの誕生日だそうだ(場内拍手)。次にケラはフェイスガードを、「取っていい」といった。正直、ここ泣いた。ちょっとやさぐれてる子の心を読んで、後押ししてくれたような気持。つけていたい人はつけていていいし、移動や休憩のときは必ずつけていてくださいね。

 「劇作家」と「登場人物」って奇妙な関係だ。劇作家は舞台の上の登場人物を操るが、登場人物が舞台の外で何をしているかは知らない。登場人物は全力で台詞を言い、ト書きを演じるけれども、その他の事には責任を持たない。そのくせ、追悼文を書く人と追悼される人とが互いの人生をくっきり縁取るように、照らしあう。当然か。

 今日のケラの「プレ アフターコロナショウ ザ・ムーヴィー」とリーディングアクトは、何重にも入れ子になった「コント」や「物語」が、作家が立ち入れない「登場人物」の場所、登場人物にはわからない「作家」の思惑のせめぎ合う「ノーマンズランド」を行く。

 珍型コロメウィルスの蔓延する2038年の未来、そこでは上司トキタ(大倉孝二)がいなかったことになり(ねたばれだよ!)、家に4年帰っていないのに、その留守は地球の46億年の歴史と比較され無力化される。目から目へと病は伝染し、人々は両目に眼帯をして感染を避けるのだ。びっくりするほどゴーカなゲストをまじえ、コマ切れのコントは進行してゆく。中では火事から娘を助け出した男(ブルースカイ)と助け出してもらった父(大倉孝二)のいいような悪いような話が面白かった。

 後半は生身の俳優が登場して政治家の娘サクラダヒメカ(奥菜惠)を巡るリーディングアクトだ。役者はそれぞれアクリル板で仕切られた中に椅子を置いて座っており、捌ける時は後ろの暗幕の中に消えてゆく。ローマ教皇と見まがう司祭様(大倉孝二)と皆の者のシーンが出色で、「やらせ」と「いなせ」の言いかえなど素晴らしい。皆の者は何も考えていないのではあるが、「扇風機」「押す」の皆の脳のない感じがめっちゃ笑う。問題は作品に、破天荒にしようという気配が濃くて、「ノーマンズランドに行こう」という決意が感じられない所かな。破天荒にしようとしても、「不発な」「うまくいってない」ギャグにしか感じられないのだ。「登場人物」の眼が見えないのに引っ張りまわされている心持、思い通りにいかない作家の苛立ちが、もっと尖っていたらよかった。古田新太、最初の「しっぱい」は「すっぱい」っていってた。