アップリンク吉祥寺 『劇場』

 「劇団おろか」。もうここで笑う。自分たちを「おろか」と名付けるセンスと、実際にその名の劇団があっても不思議ではない現実っぽさとの絶妙のバランスだ。そしてそっと差し出される悲劇喜劇の木下順二追悼号、載っているのは別役実の戯曲だった。大げさでも的外れでもない、等身大の「演劇」が登場する。リアリティの精度高い。劇団員辻(上川周作)の遠景シーンは、そこにかぶせられる「辻の乗っている自転車は、ぼく(永田=山崎賢人)があげたものだった。」というナレーションの「あげた」が大変効いていて、笑わずにいられない。蓬莱竜太の脚本も、「沙希(松岡茉優)ちゃんのお母さん嫌いだわ」という台詞がやや粗さを感じさせるのと、最後の大切な、演劇についての台詞がつるっとしている以外は緊っている。

 この話は普遍的な話のようで、物凄く個人的なものだ。沙希はなぜ永田と別れないのか。(永田が神だからというのは置いておく。)無口で愛想のない男なのに、その言葉には笑いを含んだニュアンスがある。思わぬことを言うのが新鮮で、チャーミングだ。――というわけで、一言にまとめると、永田のフラが全く表現されていないのだ。手をつないでと頼みながら、いざつながれると「まだ迷ってたのに」と呟く可愛げが、全篇通してちっとも生きてない。どうして演出されてないの?山崎賢人が悩んで、違う方向に行くことを懸念したのかもしれないが、これだと「早く別れた方がいい話」でおわってしまうじゃん。最後のシーン素晴らしいのに。

 作品通して、抱き合って裸になる場面がない。それは「そこじゃない」という意味と、沙希が胎内(沙希の部屋)に永田を抱き留めているからという意味だろう。抱き留められていることの「重さ」が映画に薄かったかもしれない。