テアトル新宿 『ソワレ』

 村上虹郎が進歩していた。おれおれ詐欺の受け子をやり、分け前を受け取った後、上半身がこんにゃくのように不安定に揺れ、目線を定められず何度か切り替えるところ、自分に耐えられない、だるい、絶望ともいえない絶望が匂う。俳優として頭ごなしに駄目だしされ、こわばるところもよかった。

 しかし(村上にはあまり責任がないのだが、)この映画の一番大きな疵は、「翔太(村上)がなぜタカラ(芋生悠)と逃げるのか」という、物語の分岐点に説得力がないことだ。「傷つくためにうまれたんちゃうやん」て、唐突。ジャン・ルイ・トランティニャンが、ロミー・シュナイダーの顔に手をあてたとたん(昔の映画でごめん)言わないことがすべて明らかになる感じ、現れた月が海の上に一瞬で一筋の道を作る感じが欠けている。

 影が躍るところはとても素敵。でもさ、シーツのあおられるシーンは匠気が勝ち、レイプシーンやヌードのたからのバストショットは要らないよ。工夫がない。あと職質のお巡りさんどこに行ったのかな。

 タカラと翔太、翔太とタカラ、どちらかが幻想の人物でもおかしくない。路上に放り出された子供(芋生悠は17,8歳のタカラそのものに見える)のひりひりするような孤独の物語は圧倒的に語られる。それから、こちらは完全に村上虹郎の責任であるが、終幕タカラの事に気づく翔太のアップが硬い。体があんなに柔軟に扱えるのに、顔が自在でない。どうした。

 マニキュアのエピソードの残した翳がとてもいいなと思った。録音の関係か、台詞のはっきりしない所がある。タカラの母(石橋けい)、父(山本浩二)、むずかしい役をしっかり演じる。