三島由紀夫没後50周年企画MISHIMA2020 『憂国(『死なない憂国』)』

 マイクか、ずるだね、とちょっと思う。しかし当節、マイクを使う演劇はとても多いよね。

 マイクを離さない東出昌大は飛ばす。『コンフィデンスマンJP』の「ぼくちゃん」が深化した形だ。集中力も十分、交番勤務の若い警官の「非番の時」になりきっている。

 菅原小春も同じく、「家にいる医療従事者」に無理がない。それもこれもハンドマイクのおかげである。彼らは一時もマイクを手放さない。切腹を止めるのが夫婦なんだ、と菅原はひとりごちるが「切腹するときまでマイクを持ってあげる妻」っていうのも何か夫婦らしかった。夫婦に関する省察が中途半端である。マイクがうるさい。

 箱の中で「生きてる」と言えば生きてるし、「死んでる」と言えば死んでる猫みたいに、私たちは「コロナ陽性だ」と言えば陽性だし、そうでないといえばそんな気もする。イキテイルイエ、ライヴハウスは、床が白と黒の市松模様だった。生と死、陰性と陽性のその模様の上へ、ひゅーと運ばれていったアパートの箱の中で彼らは死んでいて生きている踊りを熱狂的に踊る。アパートは黒の箱、そして白の箱。

 私たちのかわりに三島は死んでみせたという台詞がするっと語られるが、ここもうちょっと聞きたい。ギタープレイが足りないように(なぜってこの劇場の中はライヴハウスだから)説得力が不足している。もう少し歌ってくれって感じ。この芝居(いやライヴ)の中で弱い所だ。

 死なない、死なないと叫びながら、疫病に罹る確率の高い濃厚接触を繰り返し、彼らは(私たちは)「憂国」のように死に向かう。

 この(二本の)芝居のプロデューサーは女性三人である。意欲的な試みであり、なにより「面白かった」ことがよかった。