シアターコクーン DISCOVER WORLD THEATER vol.9 『十二人の怒れる男』

 十二人の陪審員が一室に集まり、スラム育ちの16歳の少年の罪の有り無しを議論する。少年は本当に父親を刺殺したのか。

 陪審員一番(ベンガル)から十二番(溝端淳平)まで、みんな別々の型のお父さんモデルみたいに見える。生真面目なお父さん(二番=堀文明)、強権的なお父さん(三番=山崎一)、理論的なお父さん(四番=石丸幹二)といった具合に。お父さんたちが父殺しを問う芝居なんだね。

 この芝居ができたのは1954年、第二次世界大戦が終わって九年目で、朝鮮戦争は一年前に終結したばかりだ。三番がナイフを構えるとこちらの心がぞわっとなるのは、(この人戦争に行ってる)とその過去が自然と思われるせいかもしれないし、負けてはいけないと子供に言うのは生き死にをくぐってきたゆえの強権かも。山崎一は巧緻に演じるが、「上から圧しつける」「息子や娘が、心から死んじまえと思う嫌な強さ」が薄い。それから十番の吉見一豊は、なんていうか、ナイフで一突きしたらべろーんと中から百鬼夜行図が出ましたっていう感じの、深い偏見の狂気が足りない。おとうさんのやばい部分のトップとボトムが浅すぎる。

 皆しっかりと演じ、緩みがない。煙草なしでよく二時間も場をもたせたなと感心する。堀文明の銀行員は役者の力でいい役になっている。石丸幹二(台詞忘れない!)と溝端淳平はハンサム度が似ているので、自慢屋の広告代理店の人にはもっとちゃらちゃらしてほしい。永山絢斗(七番)、野球もう少し楽しみに(わくわく)してもいい。堤真一(八番)、台詞が「いい人」「良い父性」を頭のてっぺんからつま先まで表わしているけど、台詞を体の中で圧縮して「誠実」「信頼」を身体で一分くらい出す。台詞に負けない。良い父性を体現するのは難しいけど、大事だよ。