Bunkamuraシアターコクーン COCOON Movie!!芸術監督名作選 『下谷万年町物語』

 なんだろう。さっぱり話に追いつけなかったくせに、観終わるとさめざめと涙を流しているのであった。

 初演1981年、再演も同じく蜷川幸雄演出で2012年。「日陰者」「異端」であるところのおかまたち、六本指の少年文ちゃん(西島隆弘)とやはり六本指の洋一青年(藤原竜也)、ヒロポン覚せい剤)を手放さないために六本指に見える水底のサフラン座スター、キティ瓢田(宮沢りえ)が、瓢箪池の「水」、注射器の「血」を仲立ちにわたりあう。時空は飛び、話は混線するが、「通り過ぎて行った空気を抜けば、」これ、異性愛の女と同性愛の男の不可能な愛、その不可能でない愛の瞬間(永遠)について語っているのかな。まず驚いたのは、明日を考えない俳優たちの捨て身の芝居である。風に吹き飛ばされる藤原竜也は本当に瓢箪池のふちで自ら吹き飛んでおり、西島隆弘は何度も何度も水の中にばったり倒れ込む。(西島隆弘、芝居でてないなー。どうしてだ。こんなに瑞々しいのに)そして宮沢りえは長いすんなりした手足、肩、胸元を衆目にさらしているけれど、そんなことなど考えもしないように芝居に没頭している。今日一日のこの芝居を、まるで演劇の神さまに「捧げて」いるみたいに、誰もが全力で無私だ。なんか、そこがまばゆい。ここだな、蜷川さんの第一の魔法は。初演の時には恐らく、圧倒的に異端であった万年町の人々「おかま」が、2012年とそして現在では多少手あかのついた表現になってしまっており、蜷川自身が「今後2、30年は」他にない芝居であるはずだと期間限定にしているのが何となく解る。宮沢りえがこないだの舞台挨拶で、「ヒロポンもって踊った後、幕が下りると動けなかった」と思い出話をしていたが、これほど必死に台詞を言っているのに、そのぎりぎりの必死さの中からキティ瓢田の少女のような無垢な声がするのがいい。宮沢りえ、この時最高に輝いている。