日経ホール 〈振替公演〉J亭スピンオフ企画 12 白酒・三三 大手町二人会

 座席の背もたれの背が高い。日経ホール、ここって何するところ?きっとセミナーや何かやっているに違いない。ネットで確かめたら月に3,4回お笑いライヴやコンサートもある。ふーん。辺りを見回す。演劇の公演では、いま、客席は水を打ったように静まり返っているけど、ここは弱火で鋳物鍋を火にかけてるくらいの話し声があちこちからしてる。小さくふつふつ。私の座っている後方の席から、背もたれの上にかろうじて出ているおじさんとおじいさんの白髪や禿頭の後ろ頭がよく見える。たくさんいるなあ。でも、40代くらいの女の人も結構多い。3分前。太鼓が鳴る。さらっとしていて、でも波立つよう。1分前には鳴りやんだ。配信だから時間通りなのかねえ。三味線の音締めの音が小さくして、幕が開く。六曲二双の金屏風の前に紺の高座、座布団は紫だ。下手のめくりに、「柳亭市江」とあり、下手奥から、いったん客席を目に入れて、噺家が現れる。えっいったんお客さんみるの?この登場の時、私かなり噺家さんじっと眺めてる。ここ、さらっとかっこよく出て来てほしい。肩巾いっぱい振り向くなんて、おしゃもじがこっち見たようでがっかりだ。

柳亭市江改め柳亭燕三(えんざ)。来週真打になるのだそうだ。おめでとうございます。まず、真打になるのはお金がかかるという話から。扇子やのぼりも作らなくちゃならない。「私いまわらいほしくない、金が欲しいんです」わわ笑えない。切実さがにじんじゃってるもん。与太郎の出てくる「近日息子」の咄にはいる。市江は呼吸がとても落ち着いていて、口から細い糸が一筋出て、それがきれいなカーヴをつくっているみたい。ほそいけど、ちゃんとこちらの心に入ってくる。

 与太郎は父親に、「なんでも先繰りをする」よう説教される。女の人がずーっと強要されてきた「気を利かす」ってやつだね。気が利かない自分はこんなこと言われたら「けっ」と返すだけだけど、与太郎は偉い。おとっつぁんが「頭が痛い」といったのを先繰りして、医者と葬儀屋と坊さんを呼ぶ。慌ただしい様子を見て、町内の連中も悔やみに駆けつける。ここで!町内の人たちが3人も出て来てよくわかんなくなっちゃった、途中で空中に消えちゃうラングドシャ(お菓子)の集団みたいに見えてしまう。でも市江はあわてない声。そこがいい。

次は柳家三三、ほらー見てー、身体の力が抜けてて膝だけを繰り出す楽な態度で高座へあがる。かっこいいよ。『近日息子』のオチは家に幕を引き回し「忌中」とはしてるけど、そのわきに「近日」と書いてると与太郎が胸を張るところ。三三も白酒も、この市江の咄と市江で上手に笑いを取る。

晦日の甚兵衛さんのいえ、「明日は元日なのよ」(「よ」がリアル)と女房がお金をご隠居さんに借りに行くようにせっつく。甚兵衛さんはぼーっとしたひとでそこをご隠居に愛されている。

「いまあたしたち夫婦に必要なのはお金、わらいじゃない」わらえる。この夫婦と三三との間にきちんと距離があるからだ。甚兵衛さんは女中のおきよさんがいたら在と不在を確かめて、いないといわれたら「町内をひとまわりしてきます」といえとよくよく言い含められる。しかし段取りとちがってご隠居さんは「いる」。当てが外れた甚兵衛さんはまごまごする。

 全体に危なげなく、可笑しく、サクサク進むけれど、甚兵衛さんが「ご隠居のことはそうでもない」と正直に好悪をいうと、お気に入りの甚兵衛さんの言葉をご隠居が心地よさそうに「ひとことひとことが肌を切るねえ」というのだった。ちょっとだけ、いたい。話の調子と会わないかも。この三三の咄、すきだった。さらっとしてて気色ばるところがないもの。これに対して最後のうなぎ屋の話『素人鰻』はすっかり暗い気持ちになった。呑兵衛の鰻裂き職人金さんが酒で酔っぱらう所と、元武士の鰻屋主人がはじめて鰻を捌くところが眼目なのはわかる。そして、鰻が暴れる姿を演(や)るのはきっと難しい。肱から先をより合わせたり、親指をほかの手でつかんだり、三三はうまい。鰻いる。ぬるぬるしてる。落語の紹介の時、そばの食べ方やる人は多い(よく見る)けど、鰻捌く人いないね。「蕎麦食べてばっかりじゃないぜ、落語は、」って感じかな。でも「依存症」→「アルコール中毒」「没落」→「悲惨」て、観客の頭に浮かんだ時点でまずくない?酒飲む場面も、なんだろうあの麻布の御前。この人の心事がさっぱりわからん。この人さえいらないことをしなければ、当座(とおもうところは、私が大人なのか三三の咄がリアルすぎるのか)金さんも飲まなかったのにね。

 

桃月庵白酒の今日の演目は、『死神』と『だくだく』だった。コロナで大変だという話。キャンセル料というのがあるとわかって、こちらから「キャンセル料は…」ときりだすと、「あっ、ご存知でした?」とかいわれるんですよ。周りのおじさんおじいさんたちがわっと笑う。青年のような笑い声だ。おじいさんの中には、お兄さんが棲んでいるんだなーと実感する。

『死神』の主人公の男は、あっけらかんと、アナーキーに「死んじゃおっかなー」と思っている。心が荒涼としているんだろうが、ちょっとだけ可笑しい。落語の人だ。これ、ここ、すごく大事だよね。死神の方は、声の大きい親切そうなやつだ。いいかいちどしか言わねえぞというのに、聞いてなかったと知るともういちどいうぞと大声で繰り返す。結構いい人。おじさんたちの、さざ波のようなハハハという笑いがまた聞こえる。医者になった主人公が商家の足元を見て診立て料をふっかけると、お店の人が小さく「餓鬼…」と吐き捨てる。ここもぎりぎり浮いてない。脇を向いてちっちゃくいうから。中入り後にした『だくだく』に比べるとずっとおもしろかった。模造紙張った壁に絵を描いて、それを盗んだつもりって、噺が難しい。最後の「つもり」の掛け合い、スムーズにして、血がだくだくと出たつもりって、もっと悔しそうに言うんじゃないかなあー。